えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。


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リンク先で紹介されているのは、朝日新聞による「自分たちに異を唱えているのは『ネット右翼』であり、相手にする必要のないひ弱なニート予備軍なんだ」という相も変らぬレッテル貼りである。この手の言説を最近はとみに目にする。彼らはネット上の反日メディアへの批判や攻撃性の発露が、自分に自信を持てない若者が拠り所を求めた結果だと語る。実はその分析自体はさほど外してはいない。しかしそこに留まっていては何も見えてこない。それがナショナリズムの高揚であるとするならなぜアメリカ軍排斥や特定アジア以外の外国人労働者排斥の声につながってゆかないのか。


一方的に自国の歴史観を押し付ける一部の韓国人を侮蔑・嘲笑し、
疑惑の亀田戦に対して低俗かつ執拗なブーイングを浴びせ、
お婆さんを怒鳴りつけたTVスタッフをこれでもかと口汚く罵る


まったく2ちゃんねるには心の清い人ばかりだ(w だって見返してみて欲しい。上記のように彼らは常に正義の側に立とうとしているのだ。左派マスコミは、「彼らネット右翼は強い者に寄り添って他者を攻撃することで、ただ優越感に浸っているのだ」と語る。しかし考えてみて欲しい。互いに匿名で、発言者のステイタスが影響せず言論のみで構成されるサイバースペースにおいて「強い立場」というのは、単純に理に適った側だ。もし左寄りマスコミが語るように2ちゃんねらーが拠り所とするのが盲目的なナショナリズムなのであれば、亀田戦などはその手段や過程がどうあれ、日本にチャンピオンベルトをもたらした亀田をネット世論は称えてしかるべきだろう(日韓ワールドカップ時の隣国のように)。だけどそうはならずに、実際にネット上で糾弾されたのはさまざまな疑惑を持たれた試合を主催したTBS側であった。要するに彼ら2ちゃんねらーは相手が正義の高みから見下ろすことができる「悪者」だから叩いているのだ。もう少しわかりやすく言うとだな、ちゃねらは常に自分は「正しい側」に身を置き、その安全な位置から他者を見下し糾弾することで日常のガス抜きをしているのだよ。


だからネット世論を味方につけるなんて簡単だ。韓国戦にまつわる誤審に口を閉ざす日本のメディアの中でただ一人異を唱えた飯島愛や、カメラの前で亀田戦を公然と非難した勝谷誠彦氏のように筋を通してみせればいいだけなのだから。それだけであっさり「神!」認定である。左派マスコミがネットを介した右傾化とやらを嘆くのであれば、これまでの主張の訂正すべき箇所は訂正し、謝罪すべきは謝罪した上で、客観的に自らの持論が正しいことを説明してみせればいい。結局、ネット上の言説空間において右寄りの意見が支持されているように見えるのは、単に左からの意見に理に適っていないものが多いからに過ぎない。右だろうと左だろうと、一貫性があって筋が通った意見はネットでも一目置かれる。結局叩かれるのは理論に穴があったり、理論を放棄してレッテル貼りで世論を誘導しようとしたり、二重基準を用いたりするからなのである。


ここで自分たちに異を唱える者に「ネット右翼」というレッテルを貼れば、ネット世論とリンクしていない層(例えば私たちの親の世代)に対しては、まだ自分たちが正しいのだという体裁を保つことができるかもしれない。だけど、今後ネットに接する人の割合は増えることこそあれ、減ることは決してないだろう。そして未来の購読層は今、左派マスコミがこのようなレッテル貼りを繰り返し、そのことでネットから冷笑される様を冷静に見つめている。そうやって購読層の世代交代が進んだ時、彼らはどのように部数を保つつもりなのだろうか。企業人として、それが怖くないのだろうか? 私も日々部数の増減に戦々恐々としている身だから思うんだけど、私が今、朝日新聞社の会社員なら不安で仕方が無いと思うんだけどな。それとも崇高なジャーナリストというのは、そういった営業成績というものとは無関係な存在なのだろうか?


リンク先で紹介されているようなレッテル貼り記事は、マスメディアとしての既存の影響力を保つための戦略としては将来性がなく稚拙である。そしてもしそういった記事が戦略的視点もなく、ただ当座の自分たちのプライドを保つために書かれたのであれば、それは自滅行為でしかないと思う。