えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

「戦争法案」という言葉を使う人たち

生物の進化を見てても思うが
環境が激変してるのに生存戦略を変えなきゃ絶滅する恐れがあるし、
かといって新しい生存戦略がうまく機能するとも限らない。
その時には最適と思われる答えを選んでいても、
さらなる環境変化や外敵の出現といった外的要因で立ち行かなくなることもある。



いろんな要素が複雑に絡み合う中で、
確実に正しいと言えるわかりやすい正解なんかない。



政策もそうだ。
複雑だからこそ意見は分かれ、議論は起こる。
そして多くの場合、人は事態の複雑さに対して
あまりに単純な選択肢しか持ち得ない。




だからその複雑さに真摯に向き合ったなら、
どの要素を優先するか思索に思索を重ね、
何かの要素を「どうか問題化しないでくれよ」と冷や汗をかきながら切り捨て、
自分がどの政策を支持するのか選ぶしかない。


神ならぬ人が事態のすべてを制御下におけることなんかないし、
現実には自分の選択に100%の確信を持てることなんて決してない。
そこに至るまでには、「これでいいのか」という逡巡や、
選んだ道に対する「どうかうまく行って欲しい」という祈りを抱くことになる。


なので問題に正面から向き合った者の間では、
結果として選んだ立場が違えども、
その逡巡や祈りを感情のベースで共有することができる。
だからこそ互いを過剰に敵視なんかすることなく
同じテーブルについて話し合うこともできるのだ。



しかし世の中には複雑なものを複雑なまま受け入れられない人がいる。
複雑な事態の中で確信を持ち、自分の立場を明瞭化するのは難しい。
それを嫌がっている人。
あるいは複雑なことを考えられない人だ。


そういう事態を単純化したがる人がそのためによく採る方法が
勝手な名前をつけて、レッテルを貼ることである。




安全保障関連法案を「戦争法案」なんて呼び換えるのがまさにそうだ。




集団的自衛権は抑止力としてうまく機能するかもしれない。
いやむしろ日本のリスクが増すかもしれない。
自衛隊の殉職者が出るかもしれない。
憲法違反かもしれないが、
憲法改正を待てない喫緊の事態なのかもしれない。
etc…


複雑なのだ。確実な正解などが存在するなら、
大の大人が集まってこんなに論争になるわけがない。
ファンタジー世界のようにわかりやすく善と悪が分かれているわけではないのだ。


しかしそういった複雑さをありのまま受け止めようとせず、
「戦争法案」という名前をつけ、恣意的に単純化する。


そうすりゃ判断は簡単となる。
そりゃ「戦争法案」なんてものには反対である。
誰だって戦争なんかしたくないんだから。


はっきりとした確信をもって片方の側につくことができる。
対立相手を「アイツらは悪だ!」と威勢よく断ずることができる。
新しい知識を吸収する努力も思索もそこには必要がない。
そして逡巡や祈りも共有しないため、違う意見の者と議論にならない。



確かにそうやって物事を単純化し、わかりやすい視点を提供すれば
一定の支持を集めることはできるだろう。


しかしこうした姿勢は、国の安全保障を議論する上では
あまりに怠惰で不真面目だと思う。


真面目に議論している人たちの足をひっぱる行為であり、
不謹慎ですらある。



間違いなく そんな彼らは事態の解決なぞ求めていない。
彼らは自分の立場を明瞭にし、
威勢よく意見表明し、
正義の立場に立って誰かを攻撃したいのだ。


同じ反対派の人でも、
そこにある複雑さにちゃんと向かい合い、
覚悟をもって何を支持するかを選んだ人は
こういう複雑さを安易に切り捨てる手段は使わないはずだ。



だからデモをしている学生さんたちは
法案には賛成・反対、どちらであってもいいけど
「戦争法案」なんて言葉を使っている人を信用しないで欲しい。


その人たちは馬鹿なのか、
あるいはあなたをレッテル一つで扇動できる馬鹿だと侮っているか どちらかなのだ。