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少し前の話題となるが電車でお年寄りに席を
譲らなかった若者の話
http://rakudaj.seesaa.net/article/3130212.html
これを読んで若者に喝采を贈りたい気持ちにもなったが、一方で我が身に置き換えて考えるとやっぱり自分はそこで立つ、立ってしまうのだろうな、ともまた思った。
軟派と言われればそれまでだが、こういう時
私の行動を規定するのは道徳ではなくミエである。
私は好きな人に見られていれば
間違いなくお年寄りに席を譲っただろう。
彼女の前で優しい人・イイ人であることをアピールするために。
だから好きな人に見られていない時でも
お年寄りに席を譲るだろう。
普段譲らないのに、好きな人の前でだけ譲るのであれば
好きな人に嘘をつくことになってしまうからだ。
またその場にいなくても
「こんなところをあの人に見られれば」という想像が私の行動を縛る。
つまりまとめるといつも私は好きな人のことを想って
立っているということだ。
ギンギンに。