2ちゃんねるの管理人・ひろゆき氏の財産差し押さえ問題でまたメディアでネット言及が盛んになっています。その中で2ちゃん関係では匿名での誹謗中傷に焦点を当てた内容が多く、それが2ちゃんねる全体への批判へとつながっている論旨も少なくないように見受けられました。
匿名でいわれなき個人を攻撃し、その個人情報を無許可に公開する。それは確かに非難されるべき行為です。しかし、なぜか私はそれを2ちゃんねる全体の批判にまで拡大して語られると、どうも居心地が悪いというか、「大人はわかってくれない」的な気分になってしまうのです。
そもそもなんのオープンソースもない個人攻撃にのっかる2ちゃんねらーがたくさんいるわけではありません。根拠なき個人攻撃は、例えれば公衆便所の壁に書かれた
「この女とはすぐヤレるぞ!→ 090-●●●●-●●●●」
といった落書きと同じです。ほとんどの人はこれを見ても「あぁ、フラれて逆恨みでもしてるのかな」と相手にしません。他人の悪意にわざわざ理由もなく加担したい人はめったにいませんし、本当にヤレると信じるのはただの馬鹿です。ですからこういった落書きがあるからといって、公衆便所の存在を悪だと主張する人はいないでしょう。ネットに関しても同じだと私は思うのです。
2ちゃんねるも公衆便所も、等しく「不特定多数の人間がクソを吐き出す場所」であって、そこを利用して特定の個人を攻撃するという例外的な使用法をする人間がいることは、その存在意義とは本質的には無関係なハズです(もちろんその「例外」を抑制するためのネットならではの防護策は充実させるべきでしょうが)。ですから私はこの「匿名での個人攻撃がある」→「2ちゃんねるは悪!」の展開に疑問を感じるのです。というか匿名であろうとなかろうと、根拠なく他人を攻撃する行為を良しとするような倫理観は、大多数の2ちゃんねらーは共有していません。それがまかり通っているわけではなく、それは2ちゃんねらーの目から見ても「悪」なわけです。そこに参加してるのは普通の人たちなんですから、ネット上だからってそこまで極端に倫理観や判断基準は変わりませんよ。多分。
では特定のblogなどをスレを立てて多数で攻撃する「炎上(祭り)」についてはと言うと、はっきり言って「祭り」に発展するほど多数の人間が攻撃したくなってる時点で、元ネタに原因がある場合がほとんどだと思うんです。ネット上では発信者も読み手もボーダレスだから、何かへの批判が立ち上がったとして、その批判が整合性のないただの言いがかりであれば今度はその批判者自身が非難にさらされます。匿名同士では事前の共謀はあり得ないのに多くの人間が一つの方向に揃って向かう場合ってのは、そこに非難に値する行為(公共倫理に反した行為を得意げに公開しているなど)があるケースがほとんどでしょう。
別にそれが正義感によって行われているとは思いません。集団で弱い者イジメしたいだけでしょう。だけど、言葉だけで成立しているネットスペースにおいて「弱い者」というのは、誰の目から見ても間違っている者=「公共倫理に反する者」なわけです。ですから私も、炎上を奨励する気もないですが、「公共心のない人間が学習するいい機会だよ」ぐらいの気持ちは正直あります。実際、今回の阿部智子議員の場合のように、祭りにまで発展してるケースだと騒ぎの大元に同情する気になったことってあんまりないですし、私もカチンとくることもありますからね・・・。
最近ではmixiなどの日記上で接客業の人間が客の陰口を公開して祭りに発展するケースが多く見受けられますが、例えば同じ愚痴を垂れるにしても、決してこのサイトが「炎上」することはないでしょう。それはこのサイトの管理人が接客業としての倫理観を保ちつつ、そこから逸脱する部分を個人を特定することのないように気を遣いながら、しかもウィットに包んで提供しているからに他なりません。要するに「炎上」は公共意識もスキルもない人間が、気軽に発信する側にまわったことから生じるゴタゴタがほとんどだと思うのですがね。
(もちろんその非難の中で誘発される差別的な言説は問題ですが)
いつ揚げ足を取られるかわからないわけですから、既存のメディアサイドの人が不都合を感じるのは理解しますが、さりとてそのあたりのことを既存のメディア上で語っている人をほとんど見かけないってのは残念なことです。