えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

GID

播磨地域での学校のGID受け入れ姿勢(ニュースソース)に対するositoさんの懸念(id:osito:20060520:p1)を拝読して。



「母親による刷り込みである可能性」は当然あると思いますが、だからこそ専門家による診断がされているのだと思います。もちろん、その「専門家」が果たして確実に精神の性別を峻別できるのかどうかという問題はあります。が、それはその分野の技術的問題であって(もちろん質的向上に向けた努力は常に続けられるべきですが)、とりあえずその判断基準を学校側は持たないわけですから、学校が「専門家の診断書があればGIDGIDとして受け入れる」姿勢を選択したというのはまずは明るいニュースととらえて良いのではないでしょうか。


あと「自分の性別に対する違和感」程度ならまだしも、GIDの場合は
>心と体の性が一致しない時、心の方で調整するという解決策
というのは現実的に難しいというのが最近の医療的見解のようです。
(これは「精神的性別とは抽象的な心の問題などではなく、発生段階での大脳の分化の問題」という学説にも合致しています。既に発育した脳を物理的・医療的に修正することは現在の医療ではまだ不可能で、生殖器や胸部を修正する方がまだ現実的なんだとか)


もちろん精神面での治療は、GIDのまま(手術を受けずとも)社会に適応して暮らしてゆくための心のケアには有効でしょうが、精神的療法でGIDを人為的に「治す」ことは技術的にも倫理的にも難しいと言われています。それは、例えば普通の男性を、人為的な精神療法か何かで精神的女性に「修正」することがいかに難しく非人道的であるかを想像して頂ければわかりやすいかと。


実際にGIDの方々と話してみたことがあるのですが、彼らの自分の肉体的性別に対する違和感・拒絶感というのは、我々が感じる「社会から押し付けられるジェンダーへの違和感」などとはまったく別次元のものだという印象を受けました。まさに書かれている通り、ジェンダーの問題とセックスの問題は分けて考えるべきなのだろうと思われます。