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【脳内】ドラマ『IS』の福田沙紀に萌えるわけ【妄想】

■ドラマ『IS〜男でも女でもない性〜』
今期のドラマではテレビ東京で月曜日に放送している『IS』を毎週楽しみに視聴しています。『鈴木先生』の後枠ですね。『IS』も原作はマンガで、ドラマ化決定以前に私も読んでいました。


ドラマのタイトルとなっている「IS」とは「インターセクシャル」の略で、要は身体的に男性とも女性とも識別できない状態のこと。と言っても現在は医療現場では使用されていない言葉で、その身体的特徴も個人差が大きいため、「IS」と言えばこう、というような決まった状態があるわけではないそうです。



福田沙紀の変化
さて、このドラマ『IS』においてISである主人公を務めるのは福田沙紀です。福田沙紀と言えば、国民的美少女コンテストの女優部門からデビューした若手女優さんで、私が初めて拝見したのは確か2006年頃の『クイズ ヘキサゴン』でした。その後も美少女路線としての活躍を横目で見ていたのですが、ある時期から「ん?」と感じ出したのを覚えています。最初に感じたのは2008年の映画『櫻の園』あたりでしょうか…。端的に表せば、彼女に漂い出した違和感とはこういうことになります。


ガッシリしとる


なんと言うか、随分と顎がしっかりなされて来た、と。その違和感は徐々に顕著になっていき、『YATTER MAN』の宣伝素材スチールで、細身に修整した写真と修整前の写真との比較が揶揄される形で話題となったあたりで、一つのトピックとして世間にも知られるところとなったように記憶しています。そう、修整されていた。それはつまり福田沙紀を起用しようとする人間や周囲のスタッフが想定する福田沙紀像と実在の福田沙紀が乖離していたことを示しています。福田沙紀自身にとっても想定する自分と、鏡の中の自分との間には乖離があったのかもしれません。


これが単に「太った」というのであれば、減量すればいいだけの話でした。だけど、福田沙紀の場合、もう骨からしてガッシリして来ていました。芸能人でさえなければ、それはより健康的になった変化として奨励されこそすれ、問題となるようなことはなかったでしょう。しかし、福田沙紀がそれまで売り出していた美少女のイメージからは逸れる変化でありました。



■妄想の中の福田沙紀。あるいは萌えに至る心理的手続き

その頃、彼女は鏡の中の自分をどのように感じていたのか。「美少女」で推していけるルックスに未練はなかったのか。自分に訪れた変化に「何故」という悲観はなかったのか。それをどのように受け入れて行ったのか…。


そしてこの『IS』というドラマです。身体的には男性的な特徴も兼ね備えた、中学生までは男性として育てられ、女性として高校を過ごすこととなったISの少女という役所。すなわち中性性が求められる役所です。もっと言えば、福田沙紀がガッシリしてることを前提としたキャスティングなのです。


この話を持って来たマネージャーと福田沙紀との間で果たしてどのような話し合いが持たれたのか…。二人の間に「ガッシリしてきたからだよね」という認識が無言で横たわりつつも、だけどそれは口には出さず、「演技者としてとても挑戦のし甲斐のある難しい役」であるとか「役者としてのチャンス」という迂回する言葉が交わされる。だけどその実しっかりと了解し、前向きに受け入れ、受け入れたことを察し合う…。とまぁここまで完全に私の妄想の話なんですけど、そうした葛藤を乗り越えて福田沙紀がこのドラマに取り組んでいると妄想することによって、私は彼女に萌えるわけなのです。


いや、現実の彼女がどうなのか1ミリも知らないで書いてるんで、かなり失礼な内容になってる気もしますが、あくまで私が萌えに至る精神的過程なので、ファンの方はどうか怒らないで頂きたいのだけれど…。




■ドラマ『IS』
実際のところ、福田沙紀はこのドラマで「中学生まで男性として育った少女」「身体的には半分男性である少女」をその演技力で見事に演じています。もちろんそのガッシリしてきた体も役所に説得力を与える一助となっています。親友役(ヒロイン役?)である剛力彩芽さんも内面に問題を抱えながら(=一見するとややメンヘラかまってちゃんが入ってる。実はそれにも事情があるのだけれど…)、そのクセ時にハッと鮮烈な魅力を印象を刻む個性的な役所を見事に演じています。難しいテーマだけど、明るく支える家族を描くことで重くし過ぎず、無暗にセンセーショナルに煽ることもなく、原作を踏まえてしっかりと描かれていると思います。『鈴木先生』同様、このシーズンもこの枠は楽しめそうです。


あとついでに言うと福田沙紀に惹かれるサッカー部の先輩役は「通りすがりの仮面ライダー」こと井上正大クンですw