えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

器と中身

一般的に性同一障害とは自認性と身体性がくい違っている状態を指す。その対処法として現在は性適合化手術(いわゆる性転換手術)が認められているが、これは自認性に合わせて肉体の側を整形する術式であって、身体性に合わせて精神/脳を修正するものではない。別に自己決定権の延長としてこの方策が採択されているわけではなく、単純に現在の医学では後者は不可能だからだ。自己が認識する個人と周囲/社会が認識する個人、どちらがより適正にその人を規定するかという命題には、いまだ答えは出されていない。また後者の術式が可能になったとしても、どちらを選択しようと身体的な痛みと他者からの社会的・倫理的批判は避け得ないものだろう。


そこで突然モーニング娘。の声の話。先日、AKBのCDとの比較から現在のモーニング娘はより低く陰性の声であり、AKBはより高く陽性であるという印象を抱いた。ご存じのように私は常日頃からモーニング娘。には明るくて元気な曲を歌って欲しい、いや歌うべきだ!なんだこの新曲は!などと主張している者である。「モーニング娘。」というよりは「大人数の女性アイドルグループ」の目指すべき基本方針として、そう考えていたと言った方がいいか。そりゃあそうだろう。失恋に嘆く歌ならアーティスト様一人でも歌える。アイドルならでは、集団ならではの魅力を押し出すなら「元気で 笑顔で 明るく」だ。ネガティブな感情に大人数で耽溺することにはリアリティも必然性もないのだから。


しかしモーニング娘。だけに焦点を当てれば、以前に電脳丸さんが指摘されていたように、実はその歴代シングル楽曲において明るい曲はさほど多いわけではない。むしろ、明るい曲が真に似合っていたのは4期メンバーがそのイメージソースとなっていたごく短い期間だけだという見方すらできる。陰性の曲が多いのは、作家の音楽性というのもあるだろうが、特に現在においてはメインボーカルの声質に合わせて、という側面もあるのだろう。


声に合わせて曲調を選択すれば大人数アイドルというグループ特性にそぐわず、グループ特性に合わせて曲調を選択すれば声に合わない。いずれの側に矯正しようとしても、痛みと他者からの批判は避け得ないものだろう。この状態が「悪い」わけではない。しかし体と心が合致した力を見せる他者と比較すればマイナー(少数派)であることは避けられないと思う。現状の修正が不可能ならば、せめて「しみったれた」曲ではなく「クールな」曲を。『しょうがない夢追い人』みたいな曲ではなく、『笑顔YESヌード』や『リゾナントブルー』のような曲を歌って欲しいと思う。