えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

写真集『田中れいな』における特攻服に関して

最初はちゃんと書くとまとめるのが大変だったんで、表の更新じゃ自分個人の好き嫌いに集約させたんだけど、やっぱり誤解というか短絡してる人もいたようなので(丁寧なレスを下さったゾミ夫さんのことじゃないです)、もう1回書いとこうと思います。批判に手間を惜しんだ私が愚かでした。申し訳ない。



まず特攻服を着てる人らが反社会的な集団であることは万人が認めるところでしょう。それは建前的にはメディアにおける表現のタブーに属するものです。いかがわしいもの、不謹慎なもの、そして反社会的なもの…これらは一様にタブーに属するわけですが、こうしたタブーに対する攻めっ気がないもの
(つまり日常を相対化しない表現)が面白味に欠けるのは当然。ですからタブーに対する攻めっ気は必然的に職業表現者には求められるわけです。



思うにこれは「走り屋」と呼ばれる人らのドリフト走行ってヤツに似ていると思うんですよね。ある程度反社会的で、かつ疾走感とリスクを伴うからこそスリリング。そして「速度を落とさずにコーナリングする」という実質的な利と、「芸として魅せる」というエンターテイメントとしての利を兼ね備えている
(※1。だけどここで注目して欲しいのは、人はその攻めっ気ばかりに注目して賞賛するけど、このドリフト走行ってやつが攻めっ気(=アクセル)と共に制動(=ブレーキング)の技術によって成立しているということです。



メディア上の表現におけるブレーキングに相当するものは、例えば反社会的なものを「バカにされる対象」というフィルターを通して扱うことであったり、「虚栄心は満たされるが真には幸せではない」「栄光は得るが愛する人は失う」などなど見る者が日常に回帰するためのルート(要するに"落とし所")を確保しておくことだと思うのです。それこそが表現者の職能。そういった意味では今回の田中れいなの写真集はその部分が技術的に拙いな、と。そのまんま特攻服着せてるだけですもん。



こういう表現で一番マズいのはもちろん誰かを傷つけることです。先のドリフトの例で言うなら通行人を巻き込んで人身事故を起こしちゃうこと。それはもう完全にシャレにならない。でしょ? 2年前のなっちの写真集の時はこれに近いと思ったので今回以上に強い調子で書きました。ただ、正直今回のれいなのはそこまで危険で深刻な問題とは私も思ってないんですよ
(だから前回は適当なところで更新を切り上げてしまった)。実際これに傷つけられた人はそんなにはいないだろうと。じゃあ何が不快かと言えば、今回のは言ってみればブレーキングが下手クソな人が無理にコーナーを攻めて、曲がりきれずに車体にガリガリ傷がついちゃったって感じ。どっちかと言えばそういうのを見た時の「あ〜あ……ダッセぇ…」という感想に近いのです。



それで傷つくのが運転者のマイカーで、それを本人の責任においてやる分には「ご勝手に」なんですけど
(アーティストによる表現などはこの部類ですよね。だけど「編集者」は職業として断じてその部類ではないと私は思ってます。元編集者として)、少なくともモーニング娘。が助手席に乗ってる時は運転が下手な人は無理するくらいなら安全運転で行って欲しいと思うし、傷がつく車体がモーニング娘。の体面であったりするなら尚更です。先の「ダッセぇ……」という印象がメンバーや娘。という看板に向けられるのは勘弁なのですよ。しかも前に1回軽く事故ってるヤツだったからなおさらね。要するに私が感情的にひっかかった部分というのは、

「ナニお前下手クソのくせにできる気になってるんだよ?」

ってこと。そんで下手が調子乗って同じようなことこれ以上繰り返して今度こそモーニング娘。を助手席に乗せたまま誰かを轢くのは勘弁ですしね。運転してるのが巧い人…例えばタカハタ秀太和田薫なら(例え今以上にきわどくても)もっとマシな表現になってると思うし、私も文句言いませんて。







(※1

この写真集における「速度を落とさずにコーナリング」に相当する実質的な利が商品の紹介文に載せるなんらかのウリを設けることであれば、「あのヤンキーキャラのれいなが特攻服を着てます!」と書けることで一応その役割は果たしているのかもしれません
(正直コチラもどれだけ実利<=購買>に結びつくかは微妙だとは思っていますが)

「芸として魅せる」というエンターテイメントとしての利の方は、実際のページとしての出来ってことだと思うけど、特攻服自体がダサいからなぁ。見た人どうですか? れいなの魅力を引き出せてると思いますか? 私はイマイチ…。



(PS)


高野さんが14日の更新で指摘されていたけど、私も「特攻服」という名称自体が好きではありません。もう定着しちゃってるもんだから仕方がないと思いますけど、国
(=個を超えた公共)のために若い命を投げ出した特攻隊のことを思うと、あまりに刹那的・利己的に振舞う現在の暴走集団に同じ名称を使うのは本能的に不快ではあります。ただ、同様に無知故に無神経な言葉の使い方、娯楽の享受の仕方をしている例は私にも多々あると思いますので(例えば『覚悟のススメ』が好きだったり)、これはもう仕方がないのかなと。