えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

特攻服

http://d.hatena.ne.jp/nittagoro/20041110#p1

「暴走族っていう迷惑な存在のかっこうを、娘。にさせていいのか」みたいなことなんだけど、かなり本気で驚きました。

それを言い出したら、あらゆるダークサイドにほんの少し微妙に触れるような表現ができなくなってしまいます。


すべての表現、どんなものでも「ダーク」だとか「悪」だとかいう面に触れざるを得ません。「暴走族を不愉快だと思っている人が見たら、不愉快に感じるだろう」という意見は、まあ一応もっともなんですが、ではその論調を敷衍させてみるとあらゆる任侠映画は撮れなくなってしまう。

















どうしてそういう極論になっちゃうのかな。こっちも本気で驚いちゃう(w 任侠映画は金を出して見るか見ないかを選択できるし、それは今回も同様。だから「着せるな」というまとめではなく、「買わない」というまとめにしたんだけどな。


だから問題なのはこちらの選択を超えて暴走族だとか特攻服だとかが視界に乱入してくる場合なんだけど、例えば『めちゃイケ』の「数取り団」なんかのように、基本的に一般に向けたメディアにおいては、それら反社会的なものが登場する場合はデフォルメされ、バカにされる対象であるというフィルターをかけられて登場しているのが常です(若槻千夏もそれを踏まえた上でのあのキャラクターですよね)。少なくともそれに「かっこいい」なんて付加価値をつけて美化したりはしません。それがダークなものに対するニーズを感知しながらも、メディアという公共の場において扱う上での正しい意識のあり様……というか、現実的な落とし所だと思うのです(まぁ、私はそれでも数取り団は嫌いで見ないのですが)。全否定するかどうかじゃなくて、どこまでなら許されるか、どこまでならその媒体において適切か。そういうのを見極める職能が必要だと。


そういった意味ではやはり「モーニング娘。にその写真集において特攻服を着せる」というのは、(しかも中を開いてゆくと唐突にそういう写真に出会うというのは)仕事としてその落とし所の見極めが甘いのだと思いますし、まさに書かれている通りの「勇み足」なわけで、担当者はプロとして一流の仕事をしたとは決して言えないと思います。そして二流・三流の人間が自分が好きな対象に仕事で接することに対してファンが抱く不快感はご理解頂けるかと思います。(「ハロプロコンサートの司会者がまこと」を思い起こしてもらえるとより理解しやすいかと)


あと暴走族を珍走団と呼ぶことに関してですが、その有効性を疑問視して「“オタク”がかっこ悪いからって、別になくならないでしょ。それと同じですよ」というのは、彼らがオタクと同程度に「自分たちがカッコ悪い」という自覚&自虐を持っているかが謎なので、「それと同じ」と言い切るのは不適切なんじゃないかと思います。オタクと違って彼らはたいがい“いきがってる”わけで、それはやっぱり自分たちがカッコイイとカン違いしてるからじゃないのでしょうかね? いや、まぁ、深く語り合ったことがあるわけじゃないので、私にもなんとも言えませんが。でも自分たちのカッコ悪さを自覚し得る客観性があるなら、彼らはもう少しユーモアのある存在になってるんじゃないかな〜と思うわけですよ。


まぁ、そもそも「珍走団」って名称は実はそこまで現実的に暴走族をなくす効果を狙ってるものじゃないんじゃないかというのが私見。なんというか、「自分らではカッコ良いつもりかもしれないけど、君らしょせん珍走団だから。チンだから(プゲラ」みたいなところの意趣返しとか迷惑を受けてる者のガス抜き的な効用の方が大きいんじゃないでしょうかね。とりあえず「チン」という音の響きが問答無用に間抜けでサイコーですし。特攻服も「珍攻服(チンコーフク)」とかにすればいいんですよ。略してチンコー。そしたらあんなモンに憧れるおマヌケさんはさすがに減るでしょ(w