昨年末、ソフトバンクのスマホを提示すればドーナツが1個無料でもらえるという、ミスタードーナツとソフトバンクとが提携したキャンペーンが開催されていました。キャンペーン当日はそのためにミスタードーナツに長蛇の列ができており、これじゃあ普通にドーナツを買いたい人が買えないじゃないかと思ったものです。そして私は「本当にドーナツを好きな人を遠ざけるようなキャンペーンがミスタードーナツにとって本当に有益なのか?」という皮肉めいたツイートを書きかけたことがあります。
だけどこの文章には何かひっかかりを感じて、結局つぶやかずに消しました。何がひっかかったのか考えた結果、その違和感は私が「本当にドーナツを好きな人」の勝手に代弁しているからでした。
もしこれを書き込んでいれば「本当にドーナツが好きな人なら、たくさんの人がドーナツを食べる機会を得ることを喜び、キャンペーンの日に買えないことぐらい許容してくれるはずだ」という反論が返って来たかもしれません。そうなるともう「本当にドーナツを好きな人の心情」とやらを武器か通貨のように便利に使い、ドーナツを好きな当人を無視したやり取りが応酬されていたかも。まったく空しい事です。
その対象にちゃんと寄り添う覚悟がないのなら、他人の心情を勝手にわかった気になって代弁者になったり、あるいは自分の主張を通すために便利に使ったりするもんじゃないですね。