えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

タンポポ祭りと個人的な物語(前編)

10月19日のまなかんのblog

 

>無力で本当にごめんなさい。

 

何もできなかったことで自分を責めるまなかんの言葉を見て本当に胸が苦しかった。その不条理な自責の念と圧倒的な無力感に私も覚えがあったから。

 

これは極めて個人的な物語。しかしそれを最近のファンの方に語るにはまず2002年のハロプロ改変について、それがどういう性質のものであったか知ってもらわねばなりません。 

    

    

    

特にここで語りたいのは、私が好きだった女性、飯田圭織 その人です。モーニング娘。のオリジナルメンバーで、強い主役願望を持ちながらも、娘。での活動では常になっちやごっちんの後塵を拝していた彼女。タンポポはそんな彼女が中心に立って輝ける貴重な場所でした。だからこそ彼女のユニットへの想い入れは深かったのです。そう、「命に代えても惜しくない」と公言するほどに。

 

取り繕うのが下手で、その魂がむき出しになっているような人でした。『うたばん』などでタンポポプッチモニよりも人気が下だとイジられた時、本気で傷つき落ち込んだ顔を見せた圭織。加護ちゃんが「ミニモニの方が楽しい」と発言した時に凍り付いた圭織。その姿は時に痛々しく、危いものでした。私はそんなユニット愛ゆえに傷つく彼女を見るのが辛く、ただ彼女たちが歌う歌のように穏やかな日々を願っていました。そしてその願いは最悪の形で裏切られることとなったのです。

 

その発表は2002年の7月31日に行われました。

平家みちよハロプロ卒業。

・後藤、保田が時期をずらしてモーニング娘。から卒業。

・それに伴い、プッチモニには小川、アヤカ(ココナッツ娘)が加入。

タンポポから飯田、矢口、加護が脱退し、新垣・紺野・柴田(メロン記念日)が加入。

・矢口はミニモニ。も卒業してハロプロキッズとユニット(ZYX)結成。代わりに高橋がミニモニ。加入。

 

一度に複数の発表がされたことで攪乱され、一つ一つの意味は見えづらくなくなります。しかし発表内容を個別に注視すればそれぞれの意図は明白。ごっちんはソロ活動に主軸を移し、不採算部門は整理。そしてタンポポなどのユニット改変に関しては、「5期メンバーの露出機会を増やす」および「他グループにも娘。ファンを誘導する」というのが主眼でしょう。当時新メンバーであった5期メンバーの人気は伸び悩んでいたし、今以上にハロプロファンの動向は娘。一極集中型だったので、その意図自体はまっとうなものだと理解できます。しかし、この改変にはユニットの活動に心血を注いだメンバーの気持ちがまったく斟酌されていませんでした。

 

 

この時のことを思い返すと、今でもあの 胸の中を真っ黒に塗り潰されたような感覚に襲われます。

 

プッチモニの改変はまだ「メンバー2人が卒業するから」という言い訳も成立しなくはありません。しかしタンポポに関しては本当に何のエクスキューズもなく、剥き出しの「会社の事情」だけが存在する、無機質な人事異動として発表されたのです。

 

彼女がタンポポとして最後に立つステージも、通常通りのコンサートの1コーナーとして消化されようとしていました。もちろんセレモニーも、特別な演出も、何も用意されたりはしません。本当に彼女のユニットにかける想いなど振り返る価値もないものとして一切斟酌されず、その終幕が事務的に処理されようとしていました。

 

そんな事務所の扱いに対して、「そうじゃない」と抗ったのが、「タンポポ祭り」でした。それは2chのとある名無しの書き込みから始まって、瞬く間にネットに広がり、多くの人が黄色いサイリウムを持ち込み、また有志が会場で配布し、誰もがどこまで実現するのか半信半疑のままでその瞬間を迎えました。そしてタンポポがステージに上がった時、会場は黄色いサイリウムの光で埋め尽くされたのです。今のように色が変わるキンブレなど存在しない時代に、しかも広大な横浜アリーナで。彼女たちの想いには意味があると、自分たちはそれを確かに受け取っていると、ファンが示した瞬間でした。

 

黄色い光で埋め尽くされた会場を見てしばし言葉を失い、そして涙と共に漏れた圭織の言葉は今も忘れることはできません。

 

タンポポがいっぱいだよ…」

 

最近ファンになった方の中には、タンポポ祭りだけを特別視する古参ファンが奇異に映ることもあったかと思います。しかしこの通り、その始まりは事務所の処断に対する反抗であり、blogもSNSも握手会もない時代にファンがメンバー当人に気持ちを伝えるたった一度の機会だったのです。その後に一般化された他のサイリウム祭りは、事務所がお膳立てした卒業セレモニーの流れに沿った半ば公然のもので、それはそれで素晴らしいとは思うのですが、最初のタンポポ祭りとはその成り立ちも、意味も、まったく別のものなのです。

 

 

 

そしてここからは私TK個人の物語です。

 

 

そうして無情な事務所にわずかな反抗を示し、メンバーに受け取った愛を伝えることはできたとしても、「留飲を下げる」などという心情からはほど遠く、失われたものはあまりにも巨大でした。祭りの高揚は刹那。されどタンポポが奪われた日常、タンポポを奪われた圭織を目の当たりにし続ける日々はその後も延々と続いていったのですから。

 

 

純粋で、子供で、それ故に痛々しかった圭織は既に失われていました。主役願望を捨て、リーダーとして後輩たちの後ろで浮かべる彼女の曖昧な笑顔から、どんな心情を読み取ればいいのか。私にはもう彼女が今モーニング娘。にいたいのかどうか、それすらもわからなくなっていたのです。

 

ファンを続けるために最も必要なものは「共感」です。目標を達成した喜び、あるいは失敗した悔しさ、何クソという反骨、ステージの歓喜、それらに感情移入してこそアイドルと共に一喜一憂することができる。それこそファンの本懐です。しかしあれほど豊富だった感情移入材料の供給は止まり、私にとっての、心の色を失っていくような、無限とも思える長い長い時間が過ぎていきました。

 

 

そして圭織の卒業が発表されました。

 

 

(続く)