えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

新垣さんの卒業公演に関して

怪我で長期療養中だったモーニング娘。の8期メンバー光井愛佳さんが、武道館で行われる新垣さんの卒業公演で一緒に卒業するそうです。

(公式:光井愛佳に関する大事なお知らせ



久しぶりに怒りを覚えました。光井さんファンの心情は想像するしかないのでここでは触れませんが、新垣さんを送り出すことに集中したかった身としてはまさに「水を注された」という心境です。怪我がらみなんでどうしようもないとは言え、申し訳ないけどやっぱり別要素が混ざって来るのはノイズでしかないんで。最後の最後までこんな風に事務所の失策を押し付けられるなんて…。例によって新垣さん自身はそういうのも全部包み込んじゃうんでしょうけど。


明日のコンサートは無心で楽しみたいので、今はここで少しだけ吐き出させて下さい。


思うに、5期の加入自体がそもそもは大きな失策でした。あの時期に同年代の子が4人も増えたことで、グループは希釈され、世間の関心を大きく失ったし、またファンも抵抗を感じた。結果として、そのネガティブな感情を咎なくして一身に引き受けることとなったのがまさに新垣さんでした。かく言う私自身も新垣さんに対して最初に抱いていた感情は反発でした。


ですが反発故に注視していた目に入って来たのは、誰よりもモーニング娘。を愛する彼女のひたむきな姿でした。そして私はそこに「中澤裕子の物語」としては完結を迎えていたモーニング娘。における新たな物語の萌芽を見たのです。それはすなわち「"我々が知るモーニング娘。"に憧れた少女が、モーニング娘。になり、やがてモーニング娘。のリーダーとなる」という物語でした。事務所の失策によりタンポポプッチモニといったメンバーが愛したユニットが潰え、楽曲のクオリティが下がってつんく♂神話が廃れた時代においては、それが私にとってすがり着くべき唯一の物語と思えたのです。


そしてその大きな柱は残しつつ、その後はメンバー単位での出会いと別れという青春物語として、ある意味ではささやかに続いて来たのだと受け取っています。しかしAKBの隆盛という大きな時代の波を受けて、モーニング娘。は新たな物語の採択を迫られたように思えます。それは、すなわち「9期・10期という新世代による逆襲が始まった」という物語です。


この新たな物語の採択は必要なことであったし、成功であったと私は思っています。少なくとも座して衰退を待つより、攻めの姿勢を支持したいし、私も久しぶりにそれを楽しんで応援できる気持ちになっていました。また、物語の切り替えと言っても、それ以前の娘をパフォーマンス面で支えた高橋さん&精神面で支えた新垣さんと、新メンバーたちは適度に時間を共有し、その引き継ぎもスムーズに行われていると思っていました。


新しい物語を採択する。
だけどそれまでのグループを支えた物語には敬意を払い、
手向けを用意する−−。


多分、事務所にしても現場レベルではそういった意識は共有されていたように思うんです。だけど今回、そういったことにまったく頓着しない人間の意志によって、そこにノイズが混入させられた。そこにはどうしても2002年にタンポポを踏みにじった時と同じ無神経さが見え隠れするんです。その結果、私は私がかつて愛した物語への手向けに集中することができなくなってしまった。それは本当に残念なんです。




公演自体はセレモニーの場でしかなく、受け継がれる本質に何ら変わりはないとはわかっています。私自身 卒業公演自体に強いこだわりを持っている方ではありません。だけどファンとメンバーの心情をそうした場に集約させ、それを興業として提供し続けて来た側であるのなら、もう少し違う気の遣い方があってしかるべきだろうとも思っています。



光井愛佳卒業に際してのいくつかの数字
(esrp2nd)