えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

キャナァーリ倶楽部ライブ


コメ欄ではああは言いましたが、ジオが回復しないので仕方がなくこちらで更新します。


  

長めのコタツ布団を新調し、コタツ寝する気マンマンのTKです。ほんばんは。


■ライブスタート
11月の9日に渋谷O-EASTで行われたキャナァーリ倶楽部のライブに参加してきました。O-EASTは渋谷のラブホテル街のただ中にあるため、開場待ち時間にラブホに入るカップルを何組も目撃して死にたくなりました。まったくこの世はファッキンだ!


モニターにメンバーからの挨拶が映し出され、時間通りに開演。
かねてより腰の故障が伝えられていたえり〜なですが、この日もまだ全快ではないらしく、高イスに腰をかけてのパフォーマンスとなりました。私が初めて見たキャナァーリ倶楽部 …… それは地元商店街のお祭りで、雨が降る中、トラックの荷台ステージでで踊る姿でした。荷台が揺れるのも気にせず、というかむしろ揺れることを楽しんで、メンバーの中で唯一全開の動きで踊っていたのが最年少のえり〜なでした。そんな、元気で踊ることが大好きなえり〜なが、おそらくはメンバーたちにとっても特別なイベントであろうグループのライブにあたって、仲間と一緒に踊れずにいる。その姿は、本当に痛ましいものでした。


ぶっちゃけ、私のようなおっさんヲタはアイドルのコンサートにメンバーの可愛いらしい姿やパフォーマンスだけを見に行っているわけじゃありません。このファッキンな浮世の憂さをしばし忘れ、楽しいことだけ、素敵なことだけしか存在しない世界を、その一瞬の幻想をステージの上に求めているんです。そんなステージ上だからこそ、「頑張っている女の子が、しかも一番幼いメンバーが、負傷してライブに完全参加できずにいる」というこの理不尽は、現実世界の理不尽以上のコントラストで私の胸をしめつけたのでした。


だからこそパフォーマンスの端々でメンバーがえり〜なを囲んだり、アイコンタクトをとったりして、しきりにえり〜なにも一体感を感じられるように工夫していた姿には涙腺を刺激されたし、高イスをステージ中央に運んでのえり〜なのソロ曲である『ドキ!こういうのが恋なの!?』を披露する姿には胸を打たれました。「小学生に統制されてのヲタがそろって飛び跳ねる」という現象としてのバカバカしさとの対比も含めて。そして好きな楽曲『ピカピカ』などでは、そういった痛ましさを超えて純然と「楽しい!」と思える時間を作り上げてくれていたのです。



とーこーろーがー
う〜ん、これは組織関係がよくわかってない私がいけないのかもしれないけどぉ〜、 混ざってくるんですよ。いろいろと。



■混ぜるな危険! 中盤戦
キャナァーリ倶楽部には、モーニング娘。における「ハロー!プロジェクト」に相当する、「ナイスガールプロジェクト(NGP)」っていうアイドル集団の枠組みがあって、中盤からはそのNGPに所属する別グループの演目があるんですよ。


最初に出てきたのがTHEポッシボー。2曲歌うのはまだいいんですけど、一人一人自己紹介MCがあるんです。いや、それは長すぎだろうと。モーニング娘。のライブにカントリー娘。とか℃-uteとかが出た時だって、メンバーの自己紹介まではしなかったでしょう? NGP畑の人にはキャナとポッシがセットなのは当たり前なのかもしれないけど、キャナを見るつもりで来てる私には長過ぎるんです。歌はまだ音楽にのっていけるからいい。だけど6人もいるのに全員の自己紹介MCまでしちゃったらもう「キャナのソロライブ」って意味がどんどん曖昧になってゆくわけです。意味の喪失は私がアイドルを楽しむために必要な「物語」の天敵なんですよ。


そこでちょっと凹んでた所に今度はかのんカレンというソロの子がそれぞれ曲を披露。で、このかのんという子がどう見ても小学校の3〜5年とかなんですよ。これは本当に凹みました。なんと言うか、ヲタって自分のテリトリーの境界線にはシビアじゃないですか。傍から見てると一緒だろってことでも「いや、オレはそっち側じゃない。そっち側とは思われたくない」って。だからこそ売り手はなんとかその境界線を超えさせようと工夫を凝らすわけでしょう。初期Berryzとかそうですよね。「小さい子がかわいい」以外に、小学生が歌うことの必然性を楽曲面でちゃんと付加しようとしていた。あるいは初期のSPEEDみたいに「小学生なのに」っていうギャップを狙ってスキルの高さをアピールするとか。そういう「手続き」をちゃんととっていたわけです。最近だと「可憐Girls」なんかは上手くいってましたよね。あの脱力系の合いの手とかはやっぱり子供ならではのものですし。


なのにこのかのんって子はもう、そういう作り手の工夫が全然感じられなくて、「お客さん、今日はイキのいいのが入ったんで、素材の良さをそのまま味わっていただこうと思いまして!」みたいな感じなんですよ。いや、そこはなんか手を加えてよ! 料理してよ! つかさっき『ドキ恋』っていう最高に上手く料理してみせた演目あったじゃん! あのえり〜なの後にこれを見させられる意味がわかんないよ! えり〜なよりも年下出しちゃったらさっきの演目の面白味すら薄れてしまうでしょ!
ホントに小学校の発表会を見せられてる感じで、なんかこう、しみじみとテンションが下がってしまいました。かのんちゃんには非はないんですけどね…。


あとはいくっちが小噺を披露。これは落語のイベントを先日キャナァ〜リ倶楽部がやってたからですね。落語をすることの是非はおいとくとして、公式にイベントをやったのなら見てないファンへの近況報告的なものとしてこういう演目はアリでしょう。こういうことで、「落語イベントをした」という単発の事象が、ファンの間で共有し得る歴史(=物語)へと変わってゆくわけです。着物姿のいくっちは美しかったです。




■順当に盛り上がった後半戦
その後もカバー曲があったり、メンバーを何組かに分けた演目があったりして、中盤は割とまったり終了。そして後半は再びキャナの曲で盛り上がりパートへ。ここはちゃんと楽しかったです。キャナのライブにおいて、キャナァーリ倶楽部として全員でキャナの曲を歌ってる時間が一番楽しいという、このあまりに当たり前なポイントを外して、あれこれ足したり引いたりすることに、どれほどの意義があるのでしょう? 興行的なこととか、プロモーション的なこととか、もっともらしい理由はいろいろ聞くけど、「当たり前」であることの強さには敵わないし、最終的にプラスマイナスを比較すればプラスにはなってないと私は思います。少なくとも、キャナの今の持ち駒(グループのテンションと持ち歌)なら、私に「最高!」と叫ばせることができたハズなんです(しかも当たり前のことを当たり前にするだけで)。横目で「どう考えてもその持ち駒じゃ最高のライブは無理だわ」ってグループをハロプロで見てるだけに、実にもったいないと思うわけですよ。


で、アンコール明けのMCでりっぽんの卒業が発表されました。
なにげにショックで、そんな自分にちょっと驚く。だって、まだ顔と名前も一致してないメンバーだったのに(前回に行ったイベントではりっぽんはお休みだったので)。やっぱりそれはそのメンバーへの思い入れ云々ではなく、ステージ上のこの楽しい幻想も永遠ではないのだという冷徹な現実を改めて突き付けられたことのショックなんでしょう。アイドルのファンとは悲しいものだなぁとしみじみしてしまいました。おかげで最後の曲はちょっと楽しめなかったかな。


で、だ。


実は私が見た夜の回は時間が押したせいで、アンコール後の一曲『青春万歳』がカットされてたらしいのです。それを聞いて本当にガックシきちゃいまして。THEポッシボーの自己紹介MCとかのんの演目外せばその曲を歌えてたわけでしょう? 同じ代金払って曲数少ないとかビジネスとしても最悪だし、なにより、そういった諸々のせいで、「りっぽんがいた頃のキャナ」を私は最高のライブの記憶と共に思い返す機会を永遠に失ったわけじゃないですか。まだそこまでキャナに思い入れがあるわけじゃないから、激しい怒りにはならないんだけど、その分イライラした気分になって残ってしまいました。ハロプロを見てきた経験からして、メンバーのテンションや楽曲にはまったく不備はない今のキャナの状態は実はとっても貴重なんですよ。こんな良い状態ってのはこれから先あるかどうかわからない。事実、りっぽんはもう参加しないわけだし、つんく♂の曲はいつダメダメな方向へ行くかわからないわけで。そう考えるとこの貴重なタイミングで、すっきり楽しいライブをしておけなかったというのは、本当に残念です。