えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

『はてなかしまし物語::石川梨華さんモーニング娘。卒業』

オリジナルメンバーはおろか『ラブマ』メンバーすら皆無となり、今やモーニング娘。起動時の初期設定は完全にリセットされた感があります。もはやメンバーの卒業とその後のハロプロ内での活動継続は規定路線となり、その卒業からはかつての「引き裂かれるかけがえのない仲間」といった趣きの悲壮さは失われました。今や「新メンバーとして加入し、一人前になって巣立ってゆく」というのが事務所によって打ち出されたモーニング娘。の公式なストーリーなのです。その卒業の意味の変化の中で昔と変わらずにファンが価値を見い出しているのは、先輩に導かれる後輩たちの初々しいひたむきさであったり、そんな子がグループへの愛と献身によって後輩を導く良き先輩となってゆく成長譚であったりといったその関係性の中でつむがれる愛情の物語なのでしょう。モーニング娘。の公式な物語とファンが求める愛情の物語、その両者を最も矛盾なく体現してみせたのが石川梨華その人の生き様でした。過去と現在、事務所とファンの連続性を維持する上で彼女が最も重要なリングを担っていたのは明らかで、それだけに彼女の卒業がグループにとってどれほどの損失なのか、彼女の卒業後にモーニング娘。に対して継続的な興味を持続できるのか、いまだ想像すらできていません。


一つ気がかりなのはその彼女が体現したモーニング娘。像があまりに幸福感に溢れ、そしてそれ故に反駁を許さない正しさを持つということです。その正しさは残されたメンバーを「まだ卒業できない残留組」であるかのように錯覚させてしまいます。「いつかこんな風に卒業したい」なんて言った高橋の言葉を聞くとメンバー本人達ですらその錯覚に取り込まれているのではないかという危惧を抱きます。しかし例え卒業が規定路線なのだとしても、やはり私はいつか卒業することを目指すのではなく、ただ最高のモーニング娘。になることを彼女たちには指向し続けていて欲しいなと願うのです。たとえその先に避け得ぬ卒業が待ち受けるのだとしても。 


これはファンのわがままに過ぎませんが、残されたメンバーたちにはぜひ、モーニング娘。にいることこそが最高なのだと、そう思えるモーニング娘。を再び作り上げて欲しいと、そう願わずにはいられないのでした。


旅立つ側の彼女に関しては今年は大きな変化の年になるでしょうが、さほど心配はしていないんですけどね。あれほどにモーニング娘。だった子が不幸せになるハズなどないと。グループ云々以前に一人の女性としては、石川さんというのは第一義的には「優しい人(※1)」だと思っています。主役願望の強い飯田さんがモーニング娘。本体やタンポポにおいて端に追いやられてそのモチベーションを人間関係しか求めることができなくなっていたであろう時期、誤魔化しようもなく日々主役としての輝きを増しもう誰よりも一人前になっていながらも飯田さんの前ではいつも「世話のかかる後輩」でいてくれた彼女。いつも真面目で、一生懸命で、誰かが傷つくのが嫌い。私はそんな優しい石川さんを尊敬しています。





※1 その感覚をある意味もっとも端的に表現したのが2月1日の日記だったりします)