えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

昨日の続き

じゃあ差別を次の世代に伝えないってどうするんだよって問題。そもそも自分の差別感情を育んだものが何なのかが特定できないので予防も難しい。特効薬はそりゃ黒人と直に接することなんだろうけど、日本においてはそれもなかなか機会がないことではあろう。これを考えていると、少しだけメディアにおける差別の規制などにやっきになっている人の気持がわかるような気がした。とにかくネガティブファクターの原因がわからないというのは不安なものなのだ。何が自分をそう導いたのか、何が子供たちに悪影響を与えているか、あれが悪いのかこれが悪いのかと疑心暗鬼に囚われる。しばしば差別作品の規制がゆき過ぎてしまうのは、こうした不安に根指したものなのだろう。もちろんそれが「表現の規制」という形で表出することには賛同できないけれど。ただそれでも、この度復刻になった名作『チビくろサンボ』でさえそれが私の差別意識を作った原因の一つではないとは誰も断言できはしないというのが現実だ。


一つ言えるのはインプットの制限ではこの問題は決して解決しないということだ。どんな防御策を取ろうとも情報は子供たちに入ってゆく。であればその正常な処理機能を育むしかない。いろんな人をその構成要素として内包している社会に住んでいるのだという感覚。それを育むことこそが重要か。