えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

枝葉

私は音楽的嗜好としては1stアルバムよりは『第6感』の方が好きな人間です。『セカモ』よりも『4th』の方が好きかもしれません。だけど『夢の中』を通じて本更新で取り上げたような景色を見ると、やっぱり当時のスタッフの楽曲に対する志の高さは感じるし、今以上の注意力と「手間隙」をかけていることはわかります。「なに言ってんだ『セカモ』が最高に決まってるだろ!」って言う人に同意はしないけど、あの頃にあったものを愛しそして失ったという気持ちがそこに基調低音として流れているのだということは理解できる。知識なくして理解はないし、理解のないところに共存もない。





結局のところ過去に関する知識のない人ってのは先人が抱く喪失を知りようがないから、その振る舞いの中に傲慢さや無神経さが含まれていても気づけないんじゃないかな(フィリピンの旧日本軍が玉砕した戦場跡で何も知らない日本人観光客がピースしながら記念写真撮るようなもんか)。そしてそれが先人を慢性的に苛立たせる。そして先人は先人で自分の苛立ちに無自覚だったり、怒りっぽくなってたりする。だけど知識のない人にとっては必然的に身に覚えがないことだから、その苛立ちを背景として意見されると面食らって過剰反応したりする。無論どちらか一方が悪いわけじゃない。この『夢の中』議論で私の目についたのはそういったすれ違いだったように思います。きっと私も、自分の知らないところでは多くの先達を苛立たせてきたのでしょう。


今私が言えるのは、背景を知っていた方が自分の立ち位置を理解する手がかりにはなるのは確かだろうということ。そして先のフィリピンの観光客例のような恥しいことをしないで済むということ。学校で自国の歴史を習うのもそういうことでしょ? 少なくとも今回の例で言えば知識があればヤグコーラスが入るタイミングで「かおりー!」と合いの手を入れて周囲の顰蹙を買う恐れはなくなる。


日本人であることを己のアイデンティティーの一部として誇るには歴史に対する知識は必要。なぜならそういう裏づけがないと浅薄なナショナリズムになってしまいがちだから。そしてそれは他者に対する傲慢さと容易に結びつくから。



同様にモーニング娘。をただ好きなだけなら構わないけど、サイト開いたりしてファンであることを自ら表明し言葉を紡ぐなら、「モーヲタ」の側に一歩踏み出すというのなら…探究心は持っておいて欲しいというのが私の率直な気持ち(それには昔のことも好きなオレのこともわかってくれよという気持ちももちろん含まれているのでしょう)。物理的時間的問題もあるからそれが実際にどこまで(現在の情報、メンバーの心情、グループの歴史、楽曲 etc)及ぶかは別としてね。気持ちだけは。



参考リンクあきぃさん
http://d.hatena.ne.jp/popcorn-net/20050207#1107731085
あきぃさんがいらっしゃらなかったらここまで活発に皆が話し合うこともなかったし、これを機会に『ファーストタイム』を聴こうかという人もずっと少なかったんじゃないかと思います。私が『夢の中』という楽曲について今日の本更新のようにしっかりと触れることもなかったでしょう。間違いなく今回の功労者。ありがとうございましたm(_ _)m