BEYOOOOONDS 応援企画FCイベント2019 ~晩春の陣ZIN~
平成最終日となる4月30日は、山野ホールで行われたBEYOOOOONDSの応援イベントに第一部・第二部ともに参加して来ました。
■サプライズ発表!
第一部のイベント冒頭にて、先日撮影した『眼鏡の男の子』のMVをステージ上のモニターで初披露ということで、まだ自分たちも見ていないとステージ端に寄ってモニターを見つめるメンバーたち。そこに突然大仰な音楽と共にモニターに告知VTRが始まり、8月7日のメジャーデビューがサプライズ発表されました。
嬉しい悲鳴を上げ泣き崩れるメンバーたち。中でも高瀬くるみさんの動揺は激しく、ステージサイドからMCとして登場してきた啓太に感想を聞かれて、嗚咽交じりに絞り出す声で「長がっだぁぁぁあ」と答えていました。そうだよなぁ。高瀬さんや一岡さんは、研修生期間中に年齢的な焦りもあった上でデビューが発表されたものの、それからさらに一年近くも塩漬けの生殺し状態だったわけで。その間の不安や焦燥感はいかほどだったかと・・・。普段はチャキチャキ陽性キャラの高瀬さんだけに、その泣き崩れる姿は胸を打ちました。泣き止んだ後はメイクが全部流れたからといったん舞台袖にハケる高瀬さん。戻って来てからも何か聞かれてもオウム返ししかできないボーゼン自失状態で、メンバーたちからも「いつもはあんなに(トークが)上手いのに!」とツッコまれる始末でした。
ちなみにこの涙目の上気した顔で夢の中にいるかのように呆然としている様が、なんとも情事の後みたいで色っぽいなと思ったり思わなかったり(最低)。
ちなみに『眼鏡の男の子』のMVは本当に撮影はしたそうなのですが、本当につい先日の撮影だったらしく、現在編集中でまだまったく完成してないそうです。ともかくメジャーデビューが決まったのはめでたい! リリースイベントも楽しみですね。
■『不思議の国のアリスたち』パフォーマンス
その後は『不思議の国のアリスたち』で披露したパフォーマンスを、劇ではうやむやに終わった雨ノ森組とCHIKA#TETSU組の勝敗の決着をつけるというテイで再度披露。平井さんたちトランプ兵はまた判定役。西田さんのポイ、前田・岡村・高瀬組のトランプマジック、CHIKA#TETSUのハンカチマジック、高瀬さんたちのハットパフォーマンス、そして本番千秋楽で平井さんがギャン泣きしたという全員でのフラフープパフォーマンス。勝敗つけるなんて野暮だよね、どっちも優勝! とやっぱり勝敗はうやむやになるという楽しい茶番でコーナー終了。
■平成最後トークショー
一部のお題は「平成最後の日に白状する私の可愛い嘘」。
二部は「忘れられない平成事件簿」。
■ライブコーナー
・『眼鏡の男の子』(全員)
・『I&YOU&I&YOU&I』(CHIKA#TETSU)
・『シンデレラ・コンプレックス』(雨ノ森川海)
・『アツイ』(全員)
私服風のスカート衣装の上から学ランを着て強引に男の子になってしまう前田さん(笑)。「この戦勝てる」→「なにゆえ!?」をヲタが入れるのは知ってましたが、いつの間にか合いの手のほとんどをヲタが叫ぶ仕様に・・・。
しかしまさか一部も二部も持ち歌である『都営大江戸の六本木駅で抱きしめて』をやらないとは・・・。この曲を聴きたくて一部と二部の両方申し込んだようなものだったのにorz なぜ? どうしてこのタイミングで持ち歌じゃなくてカバー曲なの⁈⁈ 「一部はサプライズ発表は見られるけどカバー曲/二部はサプライズはないけど持ち歌」というのはバリューに差を設けない観点からも良いバランスだったと思うんですけどね。まぁ、前日まで舞台やっててレッスンの時間がないのもわかりますが、残念です。まぁ、披露されたのが自分的ハロプロベスト3ソングに入る『I&YOU&I&YOU&I』だったのが救いですね。
■島倉りか
島倉りかさんはBEYOOOOONDSの中では一番「女の子」を感じさせるメンバー。これは彼女自身が女の子っぽいというだけでなく、見ているこちらを「男の子」にさせるということでもあります。40代のおっさんまで、教室で好きな子を横目で眺めていたあの頃の感覚に戻してしまう。心の中の柔らかい部分を甘く刺激される感覚があります。
ただこれには弊害も! これだけ長くハロプロファンを続けていると半ば親みたいな目線でメンバーを見ているところがあるので、普段は恋愛発覚に対しても「10代だもんね、そんなこともあるよね。次から気をつけてね」ぐらいのテンションなんですが、「男の子の気分」というのはすなわち、「肥大した自意識をこじらせ、女性に自分の勝手な理想をアレコレと押し付けて他人に不寛容」というDT気分でもあるので、なんだか、もし島倉さんに恋愛が発覚したら「裏切られた!」と大騒ぎする厄介ヲタクに自分がなってしまうのではないかと心配だったりもするのです・・・・・・。
演劇女子部『不思議の国のアリスたち』
BEYOOOOONDSが主演を務める演劇女子部『不思議の国のアリスたち』を見て来ました。サイドから見る席だったので全体像を把握できない部分も多いのですが、大枠の雑感などを。
■演劇女子部『不思議の国のアリスたち』
演劇女子部『不思議の国のアリスたち』は、メンバーの躍動する姿が可愛いだけでなく、想像してたよりはずっと演劇としての体裁がちゃんと整っていて楽しめました。ただこの「想像してたよりは」というのはある意味では事前プロモーションとしては失敗してたってことなんですよね。
公開前のプロモーションでは「不思議の国になぜか大勢のアリスが現れ、どのアリスが本物かのオーディションを行う」、「歌・ダンス・ジャグリング・マジックが織りなす、摩訶不思議なファンタジー・パフォーマンス・ショー!」といった情報が公開されていました。ハロプロの舞台では、演劇としての完成度を追及する方向性と、メンバーの可愛い姿を楽しめればいいというジャンクな方向性の2つのベクトルが存在しているかと思うんですけど、この事前情報からだと大勢の人がかなりジャンク寄りの印象を抱いたと思うんですよ。それが「想像してたよりは」の原因であり、期待値のハードルを下げて劇の満足度を上げる効果はあったかと思いますが、メジャーデビュー前で集客に不安がある状況では、マイナスの効果も大きかったように思います。
ともかく事前のジャンクな印象よりもずっと楽しめたのは、複数のアリスが並列の存在ではなく、特定の一人=アン(山﨑夢羽 )を明確な主役として設定したことが大きかったですね。一人の少女の成長物語として物語としてわかりやすい筋が1本通りましたから。
ただですね、アンをヒロインとして認知させる方法はよろしくなかったと思っています。登場人物の中で誰が物語の主軸となるのかは、その物語の進行の中で観客が自然に把握していった方が納得感があるし、その方が物語に没入しやすいんですよ。例えば『LILIUM -少女純潔歌劇-』では、その冒頭でリリィだけがシルベチカの存在を覚えているという謎が物語を牽引します。そして「シルベチカのことを唯一覚えているリリィ」と「忘れているその他大勢」という対比がはっきり浮かび上がり、シルベチカの謎を追っていく過程でリリィが物語の主軸として自然に浸透していくわけです。対して今回の『不思議の国のアリスたち』では最初のナレーションでいきなり「あるところに一人の女の子がいました(=この子が主役ですよ!)」ですからね。観客がそうと把握する前にナレーションで主軸を押し付けるのは下策だと思うんですよ。
特に今回の場合は山﨑さんがまだグループ内でまだセンターとしての実績を積む前の状況じゃないですか。そういう意味でも既に何曲もシングル曲のセンターを勤めていた『LILIUM』の時点での鞘師さんとは違うわけです。だからこそ余計に彼女を主役としていかに観客に納得させるかについてはもっとデリケートに扱うべきだったと思っています。誤解のないように言っておくと、今のBEYOOOOONDSで誰をセンターを据えるかと言えばやっぱり山﨑さんだと私も思っていますし、今回の舞台での演技や存在感もとても良かったです。だからこそ、今後のセンター路線としてのキャリアの出発点として、そのあたりに押しつけ感がないようにもう少し気を遣って欲しかったなと。
ワンダーランドから帰還したアリスたちの役名がメンバーの本当の名前と同じで、これから絆を結び関係性を築いていく舞台上の少女たちの姿が、そのまま現実世界でのメンバーの姿と重なる仕掛けとなっていました。ちなみに同じく役名=リアルネームだったのが、ハロプロの初めての演劇であった『LOVEセンチュリー ~夢は見なけりゃ始まらない~』。客席が「観客役」というエキストラとして作品世界に参加するところも同じで、意外と共通点は多いのかも?
■須藤茉麻(ハートの女王)
アンが表の主軸だとしたらその裏面となり物語を支えるのは間違いなく高圧演技でハートの女王を演じきった須藤さん。『ファラオの墓』におけるスネフェルみたいなもので、視点を変えて彼女を主役に据えても物語が成立する役所でしたからね。物語を主導し、客をイジリ、クライマックスを盛り上げとまさに八面六腑の活躍でした。
■高瀬くるみ(ミント)
アリスたちの中で唯一悪役になりかねない難しい役所を熱演。こういう役を振られるのはスタッフから信頼されている証。
■西田汐里(ホッピン)
真横から見るサイド席で見たので、ちょっとステージからほっておかれる寂しさもあったんですけど、そんな中でパフォーマンス中に一番こちらに向けてアピールしてくれたのは西田さん。嬉しい!
■島倉りか(ラベンダ)
冷静委員長キャラの眼鏡りか様がパフォ―マンス時に見せる笑顔のギャップにやられました。ヲタクちょろいからイチコロですよ。
■清野桃々姫(オレンジ)
テル! お前テルなんだろ・・・!?
■平井美葉(トランプ兵・スペード)
男の子役。ちゃんと声が出せてたよ! 見せ場は、相手をなじる気持ちよりも仲間を想う気持ちを前に出した「お前…最低だな…!」。
■里吉うたの(トランプ兵・ダイヤ)
女王様の客席イジりの後が里吉さんのセリフからのシーンだったんですけど、女王様のスカートが客席に何度もひっかかってなかなかそのシーンに行けなかった時に、演技スタートのタイミングを何度もずらされて「(><)もう勘弁してぇ~」という顔をしてたのが可愛いかったです。
■小林萌花(トランプ兵・クラブ)
女王様に声を奪われてもどこか飄々としてるのが良かった。ここをあまり悲壮感たっぷりに演じてしまうと物語のバランスが崩れますからね。
『恋はアッチャアッチャ』のMV
■『恋はアッチャアッチャ』のMV
『恋はアッチャアッチャ』のMV撮影時に、アンジュルムの和田さんがウェディングドレス衣装を嫌がっていたと知ってかなり意外でした。 と言うのも、でき上がったMVからは「結局女は結婚するのが幸せ」というような旧態依然としたジェンダーロールの押し付けはまったく感じられなかったからです。
むしろ新郎なしでウェディングドレスを着ているその姿の美しさと完全性は、「女は男なんかいなくても何でもできる。結婚式ですら!」ぐらいの勢いでしたし、それを祝福するメンバーたちの姿からは「そんなあなたを馬鹿にするような人はもういない」といった肯定的なメッセージを感じました。
製作陣が実際にどういった意図だったにせよ、これくらいポジティブなメッセージに変換してしまうぐらいのパワーを今のアンジュルムは持っていると思っています。
マーベル映画究極批評
■マーベル映画究極批評 アベンジャーズはいかにして世界を征服したのか?
(てらさわホーク著、イースト・ブレス刊)
あくまで映画批評が中心で、図版やスチールの使用は一切ないため、いわゆるアメコミユーザーに向けたファン書籍ではありません。
原作コミック、公開当時の記事やキャストのメディア上での発言、スタッフ・製作陣のキャリア解説、オーディオコメンタリー、背景となる(主にアメリカの)社会情勢など、メディアの海に漂う情報を拾いつつ、でもそれらをオタク的に網羅するのではなく、あくまで映画評論としての切り口を明瞭化するために取捨選択して提示する編集スタイルと語り口がスムーズ。
評論においては、長期シリーズのブリッジとしての機能や、どれだけキャラクターに寄り添えていたかなどにも言及し、映画単体としての完成度だけでは断じることができないMCU作品ならではの魅力を掬いあげています。
『キャプテン・マーベル』まで21作のMCU映画を1本1本個別に評論しつつも、読み進めるうちにその総体として10年間におよぶマーベル・スタジオ通史が大河ドラマとして立ち上がって来ます。それはあたかも単品映画を積み重ねて壮大なインフィニティ・サーガを創り出したMCUのようでもありました。
図版を使用せず、権利元と距離を置いたいわゆる非公式本だからこそ、『リミックス』や『バトルロイヤル』といった馬鹿げた邦題改変にも苦言を呈していて好感が持てます。(できれば吹き替えキャストの出来にも言及して欲しかったところ)
ユニコーンストア
以前に住んでた駅のゲームセンターは客同士が年齢関係なく仲良くて、いっつも昼間からいる仕事何してるのかわからないおっさんが高校生相手に「学生のうちは恋愛しておけ。制服オプションがタダだから」って語ってたんだけど、こんな尊敬できないアドバイス他にある?
■ユニコーンストア
キャプテン・マーベルを演じたブリー・ラーソンが主演および初の長編監督を勤める『ユニコーンストア』をNetflixで見ました。
アート業界で挫折して派遣社員になってたブリちゃんのもとに一通の招待状が届く。招かれて着いた「ザ・ストア」にはやたらハイで怪しげなおっさん(サミュエル・L・ジャクソン)がおり、ブリに新しい仕事を薦めて来る。その仕事とはユニコーンの飼育係だった・・・
とあらすじを書くとなんかラリってるようにしか思えない内容ですが、寓話性に乗せて女性の自己肯定への過程を描いた、小粒ながらもなかなか良い作品でした。何よりブリーさんがとてもチャーミングで。
でも不思議なことにブリーさんの場合にはそのチャーミングさには性的なものが含まれないんですよね。彼女は劇中である青年といい感じになるんですけども、2人の間にも性的なニュアンスはまったく感じられず、純粋な人と人との間の「親しさ」だけが立ち上がって来るんですよ。
思えば『キャプテン・マーベル』でも女性が主人公だからって恋愛要素はゼロでした。同じ「強い女性ヒーロー」を描いた『ワンダーウーマン』ですら恋愛要素はあったし、『ジャスティス・リーグ』では素直になれないアクアマンの心をほぐしたり、フラッシュのラッキースケベの相手だったりと、「女性」としての役割りを担わされている場面は散見されました。だけど『キャプテン・マーベル』はそれすら皆無。ディズニーの方針もあっただろうけど、やっぱりこれが可能だったのは彼女の稀有な存在感も大きかったんでしょうね。
ひなFES2019
■ひなFES2019
鞘師さんが想像以上に鞘師さんのまんまでした。あの年頃の3年で、しかも海外生活してたら完全別人になっててもおかしくないだろうに。鞘師さんも変わってなったけど、「辻加護」の変わりなさも相変わらずでした。
ただ鞘師さんが「そのまま」という無変化だったのに対し、辻加護の2人はあちこち経時変化は見られても、やっぱり「辻加護」以外の何ものでもないという不変さ。 例えて言うと、「ザク」ってあれだけいろんなバリエーションがあって、あれだけ多くの人がアレンジを加えて描いていてもどれも間違いなくザクに見えるじゃないですか。そういうのを「デザイン強度が高い」って言うんですけど、「辻加護」は生身の人間でありながら、キャラクターとしてのこのデザイン強度が桁外れに高いんですよ。それこそザク並みに。それって実はとんでもないことなんですよね。
芸能界を見渡してもこのデザイン強度に比肩できるのは黒柳徹子くらいじゃないかと思います。
■キャプテン・マーベル
■キャプテン・マーベル
<重要ネタバレあり>
他人にDNAレベルで変身することができる擬態(シェイプシフター)能力を持つスクラル人。原作では悪役宇宙人として登場するこのスクラル人が今回の映画では悪役ではなかったのが一番のサプライズでしたね。
そのスクラル人のタロスが、自分たちの擬態能力について「それはスクラル人なら誰でもできるの?」と聞かれた時に
「訓練や技術次第だし、こう言っちゃなんだが才能も必要だ」
とちょっと自慢気に話すシーンが、可愛げと趣きがあって実に良かったですね。
誰かに成り代わる擬態は、『盗まれた街』の昔からSFホラーで繰り返し題材とされているように、人間にとっては根源的な不気味さや恐怖を感じるもの。今回の映画におけるタロスたち一派のスクラル人は悪役ではなく故郷を追われた難民であるわけですが、こうした不気味さや忌避感ってまさに私たちが異文化・異民族に触れた時に本能的に感じてしまうものにも通じると思うんです。見た目が違うとか、言語の発音が荒々しいとか、食べ物が違って妙な臭いがするとか、理解し難い習慣を持ってるとか、そういった違いにギョッとする気持ち。
ところが今回のこのシーンでは、その不気味に思える要素が彼らにとっては技能や誇りであり、チャーミングな要素ですらあると描写されています。そこには文化の違いがあるだけなのだと。私は拙速な移民政策には賛成できない立場ですが、それでも、このような描写は改めて異文化やそれに対する自分の感情への気づきをくれましたし、映画終盤にマリアの子供とタロスの子供が幼女同士でこだわりなく打ち解けている姿を映して、2つの文化の接触のポジティブな可能性を提示する手法は、押しつけがましくなくて実に気が利いているなと感じました。
■追記
ところでマリアの子供のモニカ・ランボーは今回の劇中の90年代に8歳ぐらいだから、『エンドゲーム』では30代? 『エンドゲーム』でキャロルとモニカの再会があるのかもちょっと気になるところです。なにせ彼女も・・・