えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

タンポポ祭りと個人的な物語(後編)

前編はコチラから

 

タンポポの改変からおよそ2年の歳月が過ぎた2004年5月に、2005年の冬のハロコンの最終日をもって圭織がモーニング娘。を卒業することが発表されました。

 

そして卒業を目前に控えた1月8日、八景島シーパラダイス内の特設ハロー!ショップで飯田圭織単独のトーク&握手会が行われました。今と違って娘。メンバーとの握手などハワイツアーに行くか、出演者ランダムの24時間TVの募金ガチャにチャレンジするしかなかった時代です。それはまさに特別な機会でした。

 

以下は当時の日記を短く改変したものです。

 

 

 

短いトークコーナーが終わり、握手の順番はすぐに回ってきました。握手は思っていた以上にゆっくりとした進行で、私が用意していた感謝の言葉が終わってもまだ時間は余っていました。想定外の事態に当惑したその時に、ふと自分がタンポポ祭りをあしらったファンメイドのパーカーを着ていることを思い出したのです。そしてパーカーを指して彼女に言いました。「これタンポポ畑の…」 彼女はその時、パーカーを見て少し驚いたような表情をしました。

 

その時、私の頭の中にはあの日の風景が瞬時に蘇ってきました。あの黄色い光に包まれた横浜アリーナが。そしてあの頃の気持ちが。2年間ずっと目を背けていた感情が噴き出して溢れ返り、 そして次の瞬間、私の口をついて出た言葉は私自身思いもよらぬものでした。

 

 「何もできなくて ゴメン」

 

自分がそんなことを口走るなんて思ってもいませんでした。ユニットの改変について一ファンにできることなんて何もあるわけがないのに。そんなことは誰もがわかってることなのに。そもそも主語も何もなくてちゃんと伝わるかどうかもわからないのに。だけど私の胸から搾り出された言葉はそれでした。 その時圭織が何か言ったのかは覚えていません。ただ「いいのよ」というようなニュアンスの少し困ったような、優しく笑ったような顔で首を横に振ってくれました。

 

その瞬間気づいたんです。この2年半もの間、ずっと自分を責めていたことに。好きな人の大切なものが奪われることに対して何もできなかった。あれほど好きだった人のために何もできなかった。そんな自分の無力さに傷ついていたんです。そしていろんな気持ちに背を向けていたせいで、そんなことにも気づけていなかった。だけど圭織に告解し、自分の傷を自覚し、そして彼女によって「許し」を得られたと感じられたことで、やっと涙を流すことができたのです。

 

自らを憐れむ内容が続き読むに堪えませんが、それでも当時としてはこれが偽らざる心境でした。改変以降、聴くと辛くなるので私はずっとタンポポの曲を聴くことができないでいましたが、この握手の日、会場を出た先の海を見ながら、2年ぶりにアルバム『ALL of TANPOPO』を聴いたことを覚えています。『乙女、パスタに感動』、『恋をしちゃいました!』、そして『I &YOU&I&YOU&I』。昔と変わらぬ輝きがそこにはあり、昔と変わらぬ愛しさがこみ上げてきました。うまく説明できませんが、彼女たちの歌は私が再び向かい合える日が来るのをそこでずっと待っていてくれたのだと感じたのです。彼女たちの歌とともに私は止まっていた時計の針を進め、今という時間軸に至ります。

 

 

>無力で本当にごめんなさい。

 

今回のカントリー・ガールズ休業についてまなかんがblogで綴ったこの言葉。私にまなかんの心情が推測できるとは思いません。ただ、この言葉の響きがあの時の自分の気持ちと重なって、私はたまらない気持ちになったのです。

 

 

これだけは確かです。彼女は何も悪くない。グループを襲う理不尽な「災害」を前に、メンバーにも、スタッフにも、ファンにも、できることなんておそらく何もなかった。だからまなかんの無力感や罪悪感は謂れのないもののはずなんです。だけどあまりに悲しい出来事の前に人はそれに囚われてしまいます。かつての私のように。

 

すぐには無理かもしれませんが、いつの日か、まなかんが愛したものたちが彼女に許しを与え、彼女を癒す日が来ることを、私は願っています。