えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

余談・自分語り・例によって

ところで私は道重さんの卒業が決まってから心に誓っていたことがあります。それは譜久村聖さんを好きにはなるまいという事です。


かつて私は飯田さんが好きでした。そしてそれ故に中澤さんの後を継ぎ、リーダーとなった彼女を見ることが苦痛でした。それまであんなにも自分の感情をわがままと言えるくらいに素直に出していた彼女が、リーダー就任以来 自分の感情を表にほとんど出さなくなりました。数少ないトークの機会は告知などのリーダーという立場からの内容に終始するようになりました。リーダーだからメンバーを贔屓しちゃいけないという理由で懐いていた辻ちゃんと距離をとったら、辻ちゃんはあっさり離れて行きました。共感材料が提供されない日々が続き、やがて唯一のつながりであった『タンポポ編集部O-SO-RO』や『今夜も更新中』も終了しました。リーダーとして浮かべる曖昧な笑顔の向こうに、かつての彼女がいるのかどうかもわからなくなりました。…ともかく偉大なリーダーの後を継ぐというのは、それで精一杯になってしまうくらい大変な重責であるということです。そしてそういったメンバー個人を好きな人間にとってはそれを見続けるのはかなり「しんどい」ことでもあったのでした。正直に言うと、あんな想いは二度と御免でしたし、みすみす同じ轍を踏む阿呆にもなりたくなかったので、次期リーダーになるであろう譜久村さんに思い入れを持たないように心の距離をとろうと思っていたのです。



でも私は見てしまった。



サブステージで9人で踊る『ブレインストーミング』の後、さゆと2人で歌う『好きだな君が』のために、さゆがいるメインステージに向かって花道を全速力で駆け抜ける譜久村さんの姿を。東スタンド、花道真横にいたので、彼女はまさに私の視界の前を駆け抜けていったのです。あれはスカパーでは映されたのでしょうか。DVDには収録されるのでしょうか。その姿に私は彼女がこれから背負うであろう重責やしがらみなど全てを超越した、彼女の魂から出力される命の力を見ました。人生を肯定する力。かけがえのないモーニング娘。の本質そのもの。


その躍動は、宗教的な啓示のように とても尊いものとして、すべての理屈を飛び超えて私の胸に刺さったのです。




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