えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

『エウレカセブン』

そういった意味で、『エウレカセブン』の物語骨子は実はロボットアニメとしては王道と言えるものだった。変わらない日常に憂う少年レントンが、美少女・エウレカとロボット・ニルヴァーシュに出会うことで冒険の日々へと旅立ってゆく。しかも父親と姉の失踪の謎を追って−−。その王道たる部分と、デザイン面でのスタイリッシュさや「リフ」アクションの爽快感といった要素が見事に融合しており、序盤は見事な牽引力を持っていたと思う。最新鋭の外見とは裏腹に、実にオーソドックスな根幹を持っていて好感が持てた。


ところが、中盤以降はずっと舞台に対する説明不足が、物語への集中の足をひっぱっていたと思う。レントン少年が所属する集団「ゲッコーステイト」が何の目的で行動しているかわからないために、レントンのその場での自己実現も達成目標が曖昧にならざるを得ない。そして目標が曖昧だと達成した時のカタルシスも半減するのである。『エヴァンゲリオン』以降、「謎」を物語の牽引役としようという手法は大流行した。ただ、『エヴァ』においては「視聴者が知らないこと」と「主人公も知らないこと」はリンクしており、大いなる謎の中で翻弄される主人公と視聴者が同調することは可能であった。しかし『エウレカ』においてはレントンが当然知っているであろう舞台世界の基本設定−−−スカブコーラルだとか、賢人会議だとか−−−まで思わせぶりに視聴者に対して隠匿された。それはもはや謎ではなくてただの説明不足であり、無用の苛立ちを生む効果しかなかったと思う。レントンの内向的な話が続いたこともあって、これが中盤ダレる大きな原因となった。


ただ『エウレカ』で評価できるのはその欠点をきちんと認め、反省して仕切り直したことだ。後半に入ると、今までの説明不足がウソのように、さまざまな事象を饒舌に説明し始めて、ゲッコーステイツや個々のキャラクラーの達成目標も明確にされた。「それを第一話でやっとけよ」とは思ったけど、ともかく話はかなり明快さを取り戻し、クライマックスへ向けての盛り上がりを獲得したと思う。ただ最後の最後で、やはりレントンたちの達成目標が不明瞭という欠点は出ていたと思う。何をどうすればあの星は救われるのか、それがわからないままコーラリアンの中枢に突入していったので、レントンたちの行動も場当たり的にならざる得なかったように思う。そういった意味では「アネモネを救いたい」と達成目標が明確であった分、ドミニクとアネモネのエピソードが一番素直に盛り上がることができたんじゃないだろうか。結局はどんなに話を広げようともクライマックスは「こいつさえ倒せば(壊せば)地球は救われる」というぐらいの単純な構図に落とし込むべきだったんじゃないかなと。


ただ最初に書いたように、鑑賞物ではなく、きちんと成長の主体として少年を登場させたスタイルは好感が持てたし、最近では珍しく手書きのロボットがグリグリ動く様はちゃんとアニメの快感を表現できていたと思う。なによりこのアニメ短命の時代において、完全なオリジナルストーリーで全50話をきちんと送り出した、その覚悟をもって制作に当たっていたということが、まず素晴しいなと。オタクに媚びて類型的なパターンだけで構成された作品が多い中で、デザインや楽曲面でのこだわりなど、随所にスタッフの「オレたちの世代で新しいことをしたい」という気概を感じることのできた作品であったと思う。