えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

読了

 
陽気なギャングが地球を回す』『陽気なギャングの日常と襲撃』
伊坂幸太郎祥伝社文庫


それぞれ特殊な能力を持った4人組の銀行強盗の物語。嘘を見抜く能力を持つリーダー・成瀬。掏りの天才・久遠。正確な体内時計を持ち運転のエキスパートである雪子。演説の達人・響野。


…ここで、「ん?」と思うでしょ。「銀行強盗に演説って必要?」って。この響野がいいんだなぁ。響野はグループのメンバーが銀行を襲って現金を強奪している間、店員や行員の気を引きつけるためにその場で演説をするんです。それも何かを喚起したり感心したりさせる演説ではなく、意味もないことをただただ喋り続けるっていう、ホント無意味な演説。いや、それいらないじゃん。別にそれは銃で脅しつけて見張ってればいいじゃんっていう無駄な要素。なのに、なぜか響野は「俺がいなきゃ始まらないだろ?」的に振舞ってるし、他のメンバーもこの演説を自分たちの犯行に必要な様式として当たり前に受け入れているし、そして作者はむしろこの無駄を描きたいがために他の3人と状況を設定してるんじゃねーかと思わせるストーリーテリングかましている。そこがいいんですよ。


大体ね、どんな職種でも仕事っていうのは必要なものをまず押さえていくもんです。でも多くの場合は納期や予算の問題で、必要な要素を詰め込むだけでギリギリになっちゃって、それ以外の無駄な要素・遊び心を入れ込む余裕はなくなる。私も雑誌のページメイクをする上で「ここでこれがあったらネタとして面白いのになぁ−」とはよく思うけど、それが実現できる機会はほとんどない。


私達はそうやって「必要」を優先して暮らしています。だからこそ、その真逆である「無駄」を起点としたような、このとぼけた作品世界にカタルシスを感じるんだと思うんです。

ちなみにこの響野みたいなキャラクターは一つの類型として伊坂作品には頻繁に登場します。響野みたいな特権階級的禁治産者を受け入れる余裕をその世界の住人たちが共有していることが、伊坂作品の特徴的なテイストの一つと言えるかもしれません。