えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

Perfume

プロダクツとしてのPerfumeとはまた別に、3人の生身の女の子アイドルとしてのPerfumeというものがあって、おそらくはその二つの領域に一番大きく重なっている共通要素というのは「ダンス」だと思うんですね。実は微妙に排斥関係にある両者だけど、ダンスという共通項があることで一つの総体として認識できる。楽曲をビジュアルに結実させ、プロダクツとして完成させる要素としてのダンス。それは一方で彼女たちが情熱をもって打ち込む対象であり、また矜持の源泉としてのダンスでもあるわけで。


だけど、昨日の仙台ライブでは、ぶっちゃけ首から上しか見えなかったので、ほとんどダンスは見えなかったんですよ。物理的な近さと表情ばかりがフィーチャーされるわけですから当然「生身のアイドル・女性」としての要素を鑑賞することになりました。


そこで強く感じたのは、---ま彼女たちがとても可愛いらしくて一生懸命というのは当然として---、あの場が感謝に溢れていたということです。
努力して成功した人というのは、自分はこれだけ努力したという自負があるわけですが、ともすればそれは「成功してない人間は努力をしていないからだ」という傲慢さにすり代わってしまいます。だけどPerfumeの場合その経歴から推察するに、自分たちと同じように・・・あるいは自分たち以上に努力し、自分たちと同じように多くの人に支えられ、それでもなお夢叶わず去っていった人たちをたくさん見てきたハズなんですよ。Bee-Hiveで。だから自分たちの力だけでブレイクできたわけじゃないと骨身に沁みてわかっている。だからこそ、彼女達は今に至るまでに関わった人だったり、曲だったり、時代の流れに、本当に感謝しているんだと思うんです。そういうことが伝わってきました。


努力した者が報われる、という理想論を支持しているわけではなく
努力しても報われない世界の残酷さを知るからこそ
Perfumeのように報われた数少ない例を
美しい物語として、ある種の希望として支持したい。


む、言葉にすると存外陳腐だけどこんなところか。
言ってしまえばそれは奇跡であり、あの場はその奇跡を共有し、奇跡に感謝する気持ちを共有するような場所であったろうと思います。そういう意味で、私はポリからの新参で下積み時代はまったく知らないわけですが、この世界に生きる者として「感無量」という気持ちになったことは報告しておきます。



ただ、やっぱそれはPerfumeを構成する二つの領域の一方での話で、プロダクツとしての魅力や成立条件とはまた別の話になるわけですが。なんにせよともかく行って楽しかったです。素晴らしかった。次があるなら、今後はせめてもう少しダンス要素も楽しめて、総体としてのPerfumeを認識できる場所だとありがたいですが。



P.S.
関係ないけど、生の彼女たちを見ていてかしゆかの1/7スケールぐらいのフィギュアが欲しいと唐突に思いました。