えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

ゲームの影響(3/28修整)

金川容疑者、逃走中に忍者ゲーム…犯行に影響した可能性
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080327-OYT1T00385.htm


「殺人ゲーム持ってたからその影響」っていうのも短絡だしわかりやすいストーリーに飛びついてるだけなんじゃねーのって思うけど、かと言って完全否定するのもまた短慮かと。普通の人からしたら当たり前に「ゲームをしたくらいで人殺すわきゃない」と思えることなんだけど、人を殺すような《普通じゃない人間》なわけだから、どういう影響を受けてどう反応したのかは我々の理解の外ですからね。


「優れた文学は千人を感動させ、一人の殺人者を生む」なんて誰かが言ってましたが、優れた表現には当然強い影響力があり、そしてどうしたって一定の割合で常軌を逸した反応をする人間は現れるものなのです。


問題はだからって表現の自由を制限していいのかってコト。私は「殺人者を生み出してしまう可能性」を社会的なコストとして受け入れてでも、表現の自由は守られるべきという立場です。
(もちろんゾーニングなど、コスト削減の努力は必要だが、おそらく表現の自由を担保した上で悪影響を完全に0にする方法はないと思う)


どうしてそこまでして表現の自由に拘るかと言うと、歴史を見ればわかるように、表現・言論の自由がない統制社会では公権力がたやすく腐敗し、より多くの自国の人間を殺すことになるのが明らかだからです。つまり「表現の自由を守るべき」という崇高な考えではなく、どっちかと言えば「自分が殺されないため」という利己的な理由なんです。もちろん単純に「正しいことばかりじゃ面白くない」という嗜好もありますけどね。



追記
こんなんまっぴら
http://jp.epochtimes.com/jp/2008/03/html/d94091.html