えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

キャプテン・アメリカが背負うメディアの贖罪

アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン 』の劇中ではヒーローたちが抱える不安が表出するのですが、キャプテン・アメリカの抱える不安とは戦場にしか居場所がないことでした。


それが端的に表れているのが、ホークアイの幸せな家庭を屋外から眺めるシーン。愛する妻と子供。帰るべき家庭。家の内側から撮られており、それらを眺めるキャップの表情は逆光で見えません。これは『エヴァンゲリオン』でもベッドに横たわるシンジにドアの外からミサトが話しかけるシーンでも見られた手法ですね。庵野監督も「演出効果を最大化させるために表情を見せなかった」という趣旨の発言をしていたと記憶しています。


明らかに監督はその不安描写はそこが最大値だと理解しており、おそらくは饒舌に語ることは避けたかったでしょう。しかし後にきちんとセリフでも説明されています。そのあたりは映像人としての嗜好ではなく、全世界で大ヒットさせることが前提のブロックバスター作品としての義務をわきまえての判断なのでしょう。


思えば「アメリカの自由と正義」の象徴である高潔な人物・キャプテン・アメリカの居場所が戦場にしかないというのは皮肉な話です。しかしキャプテンアメリカと言えば、現実の第二次大戦中に戦意高揚キャラとしてメディア展開され、多くの兵士を戦場へと導いた経歴を持つ身です。子供向けのエンタメキャラクターを特定の政治思想や戦争政策に加担させることは作り手としてはもっとも罪深い行為。映画の製作陣はそういった過去を黒歴史としてなかったことにするのではなく、メデイア側の拭えない罪として責任を感じ、彼に贖罪を続けさせているように見えます。少なくとも現代という時代にキャップを活躍させのであれば、多くの市民から良き夫、良き父親を奪った彼に幸せな家庭を持たせないということがエンタメの「手続き」として必要だと感じているように思います。そしてその感覚は圧倒的に正しい。 日本の娯楽作品でも、これぐらい倫理的収支というものに真剣であって欲しいと思います。



ここまで書いておいてなんですが、キャップが家庭を持たないのは彼にただ女運がないだけの可能性もあります。初恋の人は50年ぶりに目覚めたらシワッシワの婆さんになってるし、目覚めて初めて見初めたウェイトレスは時差ボケで声がかけられず(アベンジャーズ未公開シーン)、気になる隣の部屋の子は自分を監視してるシールドのエージェントでした(ウィンターソルジャー)。『アベンジャーズ』でブラック・ウィドゥとホークアイが一緒の部屋に2人でいた時には「あれ? コイツらできてんじゃね?」と思えたのに、『ウルトロン』の最後でウィドゥとキャップが並んで話すシーンではそんな色っぽい空気など一切感じさせない圧倒的なビジネスパートナー感! うん、非モテだ。



だからきっと今後もキャップは戦場に身を置き続け、そして非モテなのでしょう。