えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

コメントレス

>ついにガキさんモーニング娘。のリーダーになりましたね(^^) 元ガキさんヲタのTKさんからしたら感慨深いものがあるのではないでしょうか? 私は昔のTKさんのガキさん記事を読んで涙した読者なのでぜひともガキさんが娘。リーダーになった感想や思いなどの記事を書いてほしいです!お願いします!


率直に申し上げて、えだはを更新するにあたって何がツラいって、ここで「モーヲタのTK」を求められることほどツラいことはありません…。今でもモーニング娘。は好きです。でもヲタとして絶対に必要な核心的な何か…そう、言ってしまえば「信仰」を私は失ってしまったのです。あまねく信仰の本質は「盲信」であります。かつてのような言葉を吐くことはできないのです。信仰を失った牧師の話など、何の価値もありゃしないのです。それでもモー神通信を読んで下さっていた方へのせめてもの誠意として、今の気持ちは真摯に記しておきたいと思います。


私が見知った当初、モーニング娘。の物語の主体は中澤裕子でした。
中澤裕子モーニング娘。を愛した。
・メンバー中澤裕子を愛した。
・そして中澤裕子のグループへの愛はメンバーに引き継がれた。

私から見えたのはこういうシンプルな筋書きの物語でした。この物語は『ザ☆ピ〜ス』でこの上なく幸せな大団円を迎えます。そうして私は観測者としての己の主軸を見失いました。そんな時に見えて来た光明こそが新垣里沙の物語でした。モーニング娘。が大好きだという彼女。時期的に私が知っているモーニング娘。と彼女が一ファンとして好きだったモーニング娘は一致します。すなわち「中澤裕子がいたモーニング娘。」です。「中澤裕子がいたモーニング娘。」を好きだった少女が、モーニング娘。に憧れ、モーニング娘。に加入し、その立派な一員となり、多くの同胞の旅立ちを見送りながら活動を続ける、という物語。それが中澤裕子去りし後、私が新たに見出したモーニング娘。物語の主軸でした。


当然、この少女の物語において想定される結末とは、少女が中澤裕子と同じ立場、すなわちリーダーとなることです。それは辿り着くことを前提としない、物語として描かれることはない遠い未来の事として語った「最終回」でした。しかし、ついに現実はかつての物語の結末にすら追いついてしまったのですね。




彼女がモーニング娘。として活動したその10年。世間が知る全盛期メンバーたちの活動期間よりも遥かに長く、少女が大人へと成長するのに十分な、気の遠くなる歳月。その歳月を彼女は現実の人生として踏みしめて来たのだと、先日のステージは私に知らしめました。観測者が紡ぐ勝手な思い入れの物語などではない、日常として積み重ねてきた現実の時間。しかも悲壮な覚悟で臨んだのではなく、「楽しい毎日」として積み重ねてきた時間。私にとってそれはまさに圧倒的とも言える現実でした。かつての一介のモーヲタが夢想した物語など鎧袖一触、蹴散らしてしまう現実でした。用意された結末など一笑のうちに粉砕し、駆逐し、殲滅せしめる現実でした。私の、モーヲタTKの小賢しい妄想は、こうして彼女たちの現実の前に敗れ去ったのです。


だけど彼女たちに敗北することはいつも心地良い。彼女たちに圧倒される瞬間にこそ幸福を感じます。



これからの、ガキさんが率いるモーニング娘。をただの現実として受け入れて行くのか、やはり新たな物語をそこに見い出すのか。またそのようなことが今の自分に可能なのか。正直今はわかりません。ですが、やはりこれからも彼女たちのことを、−−今の自分に相応な距離からですが−− 気にかけることにはなりそうです。