えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

九十九式がAKBを語る

この度の選抜総選挙以降、宮本氏が九十九式にてついにAKB48を取り上げてらっしゃいます。しかも4日連続という大きな扱いで。私なんかはTBSが選挙結果の速報を流したことよりも、この九十九式に取り上げられたことをもって「あぁ、AKBも社会現象になったんだなぁ」と実感した次第です。


これまでAKBに言及がなかった宮本氏ですが、テキストサイト運営者であり、元モーヲタであるからには、一般平均値に比してアイドル界隈に対するアンテナ感度が低かったということはないでしょう。また流入する情報の処理回路だって既にモーヲタ時代に確立されていることと思います。それでいて今まで言及がなかったのは、「これは語るに足ることか」という発信時点での選抜フィルターが機能していたからでしょう。今回はついにAKBがそのフィルターを通過したということかと思われます。


『AKB48総選挙』という社会現象(6月10日)
AKB48がハロプロに完勝できた最大の理由(6月11日)
AKB48 大島優子の愛と覚悟(6月12日)
詩で比較する秋元康と つんく♂(6月13日)


と4回更新されていますが、やはり私が白眉と感じ入るのは、AKB48 大島優子の愛と覚悟(6月12日)です。


例えば私がアイドルに関して語ろうとする時には、その切り口は
●グループとしての力学や、企画/事業としての側面にフォーカスを当てた言説

●生身の少女としてのメンバーにフォーカスを当てた言説
というものに大まかには分かれると思うのです(あとはステージやパフォーマンスや楽曲といったプロダクトそのものへの評価とか)。モー神時代、日常的に言及していた分、継続して呼んで下さっていた方には両者の対比は更新単位ではされていると思うのですが、その1回の言及の中ではその時々でどちらかに集中してしまいがちでした。だけど多くの人が察している通り、アイドルの世界と魅力を他者に語るのにどちらか一方では片手落ちなのです。外の人に届く言葉とするならば、つまりは一つの「テキスト」という作品に仕上げるならば、やはり一つの言説の中にその対比が描かれているべきなのです。


先に上げた宮本氏の更新の素晴らしい点はまさにそこで、AKBおよび総選挙という「システム」と、その中で生きる大島優子という「生身の少女」との対比が鮮やかに描かれていることだと思うのです。仮にAKBにまったく興味がない人がこのテキストを読んだとしても、両者の対比から大島優子という少女の輪郭がクッキリと読み手の頭に浮かびあがったのではないでしょうか? 


このblog時代、往年のテキストサイト全盛期のようにはいかないのでしょうが、純正ファン日記だけではなく、私のような中途半端なファンが気まぐれに斜めから言及するのでもなく、このようなスタンスで語られるアイドルというものをもっと目にしていたいと思っております。

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