えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

ただの愚痴

ただの愚痴なんで、あんまり書きたかなかったんですけど、ちょっといいですかね。最近『ヘキサゴン』に紳介がプロデュースしてる「新撰組リアン」の人が出てるじゃないですか。それでまぁ、おバカで売ってるわけですよ。でもこの人、大学生なんですよ。例えば辻ちゃんがおバカでもそれは13歳からモーニング娘。で多忙を極めてたから仕方がないよなってことはわかるし、上地君やモッキーナだって野球一筋でまぁ勉強はしてないよねってバックボーンが見えるわけでしょう。だけど、昨日まで素人だった現役の大学生が小学生の算数もできないってなんなんでしょう。現代高等教育ってなんなんでしょう。そんな頭で大学なんて行く必要も意味も何もないじゃないですか。なんかよくわからないけど、何かが激しく無駄になってる気がしてならないのは僕だけですか。それは親が出してる学費かもしれないし、教育従事者の時間かもしれないし、あるいは教育施設に対して支払われている助成金的なものかもしれない。自分が払ってる税金と関係あるかないかまではわからないけど、とにかく何かが激しく無駄になってる気がするんです。なんなんでしょうこのモヤモヤした気持ち。そりゃ私立で定員割れだったら「誰でも入学OK」なのかもしれませんけど、やっぱり、そうは言っても高等教育なんですから、金さえ出せば誰でも入れるっていうのはなんか違うんじゃないのって気がしてます。家が貧乏で大学に行きたくても行けなかった勉強ができる人とか、あれ見てどう思うんでしょうか。いやまぁ他人がどう思うかはひとまず今はいいや。とりあえずボクがなんかモヤモヤするんです。ボクが京都出身ってのもあるんですかね。京都の大学ってやっぱそれだけでブランドですからね。それをああいうのを見せることでブランド価値が下がる気がするのが嫌なんですかね。京都で大学って聞けば、普通はまっさきに京大、同志社立命館あたりをイメージしますもんね。まぁ、ボクは大学は大阪なんですけどね。つか京都は排他的な空気が強いからか、京都の家庭教師市場では立命同志社といった京都市内の私立の方が阪大より上のステイタスに位置してるのが納得できないというか、なんでやねんという気持ちになったのを今になって思い出したぞ。このやろう。立命同志社は実際の偏差値に対してブランド価値としては過剰評価されてるよね。ブランド価値と言えば学習院はどうなっちゃってるのかね。「みんな平等」なんて面白くもなんともないから、一つのロマンとして隔絶されたおハイソな世界はあって欲しいと思ってたんだけどね。なんか夢が壊れるよね。