えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

秋葉原の殺人事件

お茶を濁してたけど
一応、ありのまま思うところを1回書いておこうと思う。



オタクである犯人が
オタクの街で大量殺人事件を起こした。


当然、オタクである私はザワザワと落ち着かない感情を抱えることとなった。犯人が秋葉原を選んだのはそこに歩行者天国があったからだという。もちろんそれは事実だけど、それでも新宿や渋谷や銀座に同じような歩行者天国があっても、やはり犯人は秋葉原を選んだような気がする。格差社会への恨みを晴らすのが目的であれば、六本木ヒルズや銀座のオフィス街を選んでも良かった。あるいは渋谷や新宿のカップルを狙っても良かった。弱者を狙うなら小学校やホームレスでも良かった。


でも恨みではなかった。
自分が受けた迫害の弱者への転換でもなかった。


どこまで本人が意識していたかはともかく、その計画性とは裏腹に犯行後の隠蔽・逃走可能性をまったく考慮していない点を見ても、今回の犯行は一種の「他人を巻き込んだ自殺」なんだろう。だから少しでも自分とつながりがある場所を選んだ。仮に自分がその立場になったと想像しれみればよくわかる。六本木や渋谷や新宿のような、疎外感を感じる街で、共通の話題がなさそうな相手を、一緒に死ぬ相手には選びたくはない。
(実際には今回の被害者がそうであるように秋葉原っつってもオタクだけじゃなくていろんな人がいるんだけどね。ただもうこの街に象徴的な意味が付与されちゃってることは否定できないし)


私は実際には秋葉原には通っていないし、オタクとしても「現役」とは言えないけれども、それでもかつては確かにオタクだったし、渋谷なんかに比べればまだアキバの方が安心する人種だ。しかも秋葉原は今の職場から一駅とくる。
「一歩間違えれば被害者になっていたかもしれない」
という言葉もそこまで現実離れしてはいない。



そして、報道で漏れ聞こえる犯人の経歴や心情は、これまでの大事件の犯人に比べれば比較的まともだと思える。特に非モテであることへのルサンチマンを書き綴ったネットへの書き込みなんかを見てると、共感すら覚える。


今までの事件では例え犯人がオタクであったとしても、彼らの嗜虐性癖だったり、自分が他者から受けた抑圧や支配をより無力で弱い相手に委譲する卑劣さなどが障壁となって共感することはできなかった。もちろん今回だって関係のない他者を何人も巻き添えにする卑劣な行為ではあるんだけど、それでもまだ共感可能な範囲と思える。どうしようも行き詰って自壊したのだってことだけはわかる。

被害者にも加害者にも距離が近い事件。
そのことが、私の胸を騒がせる。




決して共感不可能ではない犯人と自分とを隔てたもの。


例えば
学生時代の友達とか
好きになった子に好きになってもらえた(貴重な数少ない)経験とか
それなりに気に入った仕事とか
この日記を読んでくれる人とか



自分一人では得られなかったそうしたものを一つ一つ剥ぎ取っていけば、自分も今よりずっと犯人に近い人種になってゆくのだろう。だからこそ、今まで出会った偶然と、出会った人たちに改めて感謝する気持ちになる。そういう出会いで自分はできているんだなと。


でも例えそういうものが得られなかったとしても、アイドルに盲目になれるマヌケさとか 、擬似恋愛でもそれなりにガス抜きができてしまう狡さとか、何より自分を笑える姿勢があれば、なんとか明日までの時間を自壊せずにサバイブできたんじゃないかって思うんだけどね。