えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

読書 比較 感想文

『一瞬の光』(角川文庫・ 白石一文
『東京DOLL』(講談社文庫:石田衣良
を続けて読んだんだけど、あまりに印象が違うので最初は気づかなかったんですが、この二つの作品って物語構造としては非常に近しいものを持っているんですね。それでいて、そこに読みとれる時代的感性においては実に対称的。この2冊を続けて読むような雑食読み手はそうはいないと思うので、なんだか軽く自分だけの大発見をした気分です。


この2つの小説は、いずれも現実社会において成功をおさめた男性を主人公としており、その成功に半ば飽きを感じている日常から物語が始まります。順調な仕事と、潤沢な経済力、結婚を目前に控えた非の打ち所のないパートナー。しかしどちらの主人公も10歳以上も若い女性ととある偶然から「運命的な出会い」をし、そこからエリートとしてのレールを踏み外してゆく…。どちらも成功願望と規定路線からのドロップアウト願望を投影したかのようなストーリーです。


面白いと思ったのはその時代的な感覚の差。実際は両者の刊行された年はさほど変わらないのですが、『一瞬の光』は実に昭和的で歌謡曲のように過剰に(そしてわざとらしく)ドラマチックであり、それに対して『東京DOLL』はいかにも現代風の、流行しては消えてゆく商業ポップスのような、さらりと抵抗なく読めてさらりと忘れる手触りなのです。その差は文体や雰囲気だけでなく、その設定にも具体的に現れています。


<サクセスビジョン> 
『一瞬の光』…大財閥基幹企業のエリート。
       「オヤジ」と呼ばれる社長との擬似父子的関係が濃厚(タテの関係)


『東京DOLL』…ミリオンヒットゲームのプロデューサー
       学生時代からの仲間と立ち上げた会社の社長(ヨコの関係)       




『一瞬の光』の方の主人公は、途上国開発に関し国策をも動かしており、そのために違法な政治献金などの不正にも手も染めています。しかしそこには将来的には日本の国益になるのだという信念がある。つまりその是非はともかく、「公」へ関わり、貢献する中に男子としての成功像を見い出す姿勢が見て取れます。またスケールの大きさがそのまま成功の度合いに直結する価値基準も見て取れます。


一方の『東京DOLL』では、主人公は大手資本と提携することには消極的で、今のまま、気のおけない仲間同士で仕事がしたいと願っており、「公」への意識は存在しません。経済的スケールよりも「居心地の良さ」を達成目標とする姿勢が見て取れます。



<女性との関係>
『一瞬の光』…結局新しい女性とはプラトニックなまま
       倫理的に「あるべき」姿たらんとして自分の本心に気づこうとしない


『東京DOLL』…倫理的な葛藤なく、流れのままにSEX
       倫理や「本心」よりも、その時感じたまま刹那的に行動
       新しい女性と関係を結ぶのに際して既存のパートナーを思い起こしもしない




このような主人公の行動規範や価値観の差が、この2冊を昭和の空気と平成の空気に分けているように感じました。しかし一方で、これだけ主人公が対称的でありながら、そこに描かれる女性像は驚くほど似通っているのです。どちらのの物語においても主人公の婚約者は、「仕事のできる才媛でありながら、道行く人が振り返る美人。理知的で聞き分けが良く、主人公の新しい女の影に取り乱すことはないが、実は内に情熱(主人公への愛情)を秘めている。主人公の仕事への理解も深く、セックスの相性も良い」という設定であり、主人公の逸脱のきっかけとなる新しい女性は「10歳以上年下、メンヘル気味、理性よりは感性で動くタイプ」というわけです。家賃を援助してやったり、ブランド品を買い与えたりと、圧倒的な経済優位を背景とした接し方にも合い通じるものがあります。


なんなんでしょうね。時代が変わって男の感性がどれだけ変わっても、異性に求めるものはさほど変わらないということなのかなぁと、読み比べて見て非常に興味深く感じました。