えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

高橋瞳

厚生年金会館ではBerryz工房中野サンプラザでは時東あみと、ハロプロ周辺では現場系が忙しかった週末ですが、なぜか私は渋谷クワトロで行なわれた高橋瞳の1stライブに参加しておりました。定員1000名ほどのクワトロは満員。高橋さんは2曲ほどメジャーアニメのテーマソングを歌っていたこともあって、それ系の客層も多かったのですが、それでもハロプロよりもかなり若めのフロア。さらに言えば3割強と女性客も多めでした。


知人が取ってくれたチケットが整理番号1〜4ということで最前のバー前に陣取れたのですが、近い云々以前にまずよっかかるバーがあって、見るのが楽という意味でありがたかったです。 別に高橋さんを近くで見たいという欲求はないので。そう、性的な意味あるなしに関わらず、異性としての興味を持てない子が延々と一人で歌っているというのは、視覚としては変化が無くて正直ツラいところなのですが、私 職人の手元を見るのが好きなんでドラムとかベースの人が障害物なしで見れたので飽きませんでした。ドラムの人がすっごい笑顔で曲を口ずさみながら叩いてて、見た人の間で「あれは確実にいい人だよな」と話題になってました。そう、当たり前ですけど、演奏はすべて生だったのでどの曲も楽しめました。


ただまぁ、しょせん、と言っちゃうと悪いけど、やっぱ16歳の娘っ子が書いた詞なんで、そこに込められた想いも決して深くはないんですよ。「この年代ならあるある」と懐かしむことはあっても、それに本気で入れ込んだり、説得力を感じるわけではない。
(その点ハロプロはやっぱ表現の主体はつんく♂なんだよな。裕ちゃんとか、なっちとか、一部の例外を除いては)
彼女のややぶっきらぼうな佇まい(気持ち良いほどレス厨をスルー)をネタとして積極的に面白がるほど彼女個人に興味があるわけでもないので、萌えも物語性も廃してすごくフラットな視点で見てました。だから純粋に音を楽しむという感じでしたね。


私にとっては日常の娯楽の一部でも、彼女にとっては生まれて初めての本格的なライブなわけじゃないですか。盛り上がった会場に感動し、特別な一体感を感じたかもしんない。「来月のライブも来てよ!」というMCに大きな歓声で応える熱いフロア。だけど客ってのは残酷で勝手なもんだから、その場ではお金を出した分だけ楽しめなきゃ損だってのも頭のどこかにあって盛り上がるわけだけど、その人たちがまたお金を払って再度彼女のライブに足を運ぶとは限らない。次の、そしてその次の公演は今日ほど人が入らないかもしれない。そうなった時に彼女は「あの時感じた一体感はウソだったの?」とか裏切られた気がしたりするかもしれない。そうやって信じることと裏切られることを繰り返して人間がちょっと悪くなるかもしれない。そんで「昔に比べたらちょっと汚れたかもしれないけど。それでも私は今の私が好きだよ」みたいな心境になるかもしんない。それをまた詞にして、同世代から共感されちゃうかもしんない……などとこれからの高橋瞳ヒストリーを勝手に思い浮かべてました。