えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

記憶障害三部作

映画をそれ以外のメディアと比較した際のアドバンテージとしては、時間軸を(比較的)自由にいじることができる点が挙げられますが、『メメント』、『エターナル サンシャイン』、『バタフライ エフェクト』という三作は、主観的時間を「記憶」として取り扱うことでそのアドバンテージを活かした斬新な構成を可能とした作品群と言えましょう。


映画の面白さを判断する基準は幾つもありますが、ここではストーリー重視で「未見の事実による牽引力」とその未見の事実(ミステリーなら誰が殺されるのか、誰が犯人なのか、どうやって殺したのか。恋愛ものならこのカップルが結ばれるのか否か etc…)が判明した際に充分なカタルシスを得られるか否かを要点として挙げましょう。すごく大雑把に言ってしまうと、この2つの要素で物語の面白さはほとんど決まります。


上記の3作の中で最も特異な形態をとっているのが『メメント』。これは10分ほどしか物事を記憶できない前行性記憶障害の男を主人公とし、その主人公がメモとポラロイドを頼りに妻を殺した犯人を追い詰めてゆくストーリーなのですが、復讐を果たした結末の瞬間から時間軸を遡ることで映画は進んでゆきます。そういった意味では観客にとって「未見の事実」として想定されるものはなく、「先が見たい」という気持ちを引き出す牽引力には欠けます。ところが「結末をもう知っている」と観客が思い込んでいる状態から未見の事実を提示するドンデン返しが用意されており、その特異な手法に騙される感覚自体にカタルシスがあると言えるでしょう。とにかく手法と構成自体が斬新で話題を呼び、日本でも『ストーンオーシャン』や『仮面ライダー龍騎』などこの映画にインスパイアされたとおぼしきエピソードを持つ作品が多数存在するほど(^_^;)。ただ、やはりその結末にたどり着くまでの牽引力が弱いという問題はありますし、またストーリーとしては最後に解明される未見の事実にカタルシスを感じることができるかどうかは微妙だと思えます。あれだけ映画界のトピックスをさらったのにイマイチ一般にまでは浸透してないように思えるのはそのせいかな?


『エターナルサンシャイン』
喧嘩別れした恋人がある装置で自分の記憶を消したと知った男性が、自分も相手の記憶を消そうとして…という物語。この映画の(そして私の)不幸というのは、この映画が『シックスセンス』以降の時代の作品であるということでしょう。というのも、どうも『シックスセンス』以降、叙述トリック的なものに対する警戒心が強くなっており、そのひねくれた見方のせいで開始10分ぐらいで結末が読めてしまったのでした(ちなみに韓国映画の『箪笥』も開始早々オチが読めてしまった)。これによって「未見の事実」が消滅し牽引力が弱まってしまったのです。しかもね、カタルシスもイマイチなんですよ。だって主人公のカップルがオタクとDQNギャルなんです。ぶっちゃけて言っちゃうともう別れるべくして別れてるのが明らかだし、記憶を消してやり直したところですぐに破綻するのは目に見えているんですもの。そのへんの言い訳に「(またダメになっても)それでもいいじゃないか」みたいなセリフをちょっといいこと言ってます風にクローズアップされるんだけど、それでもねぇ…。もうちょっとうまくいきそうなカップリングにはできなかったのかしら?


バタフライエフェクト
幼い時分に時々記憶を失う障害を持っていた主人公の青年が、成長してからその記憶を失っていた瞬間まで時間を遡る術を見つける。彼はこの能力を駆使して幼馴染みのケイリーを救うことができるのか。
題名は蝶々の羽ばたきが地球の裏側の竜巻の原因となる=小さな行動が予想しない大きな結果をもたらすカオス理論の例示から。主人公は過去のいろんな時点に戻って何度も過去をやり直そうとするのだけど、過去のちょとした事実の変更から現在の思ってもみない結果ばかりを招いてしまう。果たして彼らにハッピーエンドはあり得るのか? というわけで時間軸上を行ったり来たりはするんだけど、主人公の主観的な時間としては一方通行に進んでいくので見る上での混乱はなく素直に入り込めます。そして結末までいってはリセットという、通常の物語における「未見の事実→カタルシス」という構造を何度もリピートしながら、少しずつ新たに判明する事実を蓄積させ、最後のクライマックスに向けて大きなうねりを生み出す構造はお見事。設定は斬新なんだけど、基本的にはオーソドックススタイルの正統派エンタテイメント作品だと思えました。DVDだと別バージョンのエンディングも2パターン収録されてるんですけど、やっぱり本編のものが最も秀逸に思えます。そのあたりどれが良かったかを比較して語り合う楽しみもありそうですよ。