えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

3人の父。

■3人の父

今日は私の人生に訪れた3人の父の話をしたい。

 

一人は本当の父親。

 

もう一人は隣に住んでた痴呆老人A。

 

そしてもう一人は下の階に住んでたハゲ。

 

上京して離れて暮らすようになって20年以上経ったある年、父親は母親を残して他界した。体にガタは来ていたが、亡くなる前の日まで仕事をしていたという。黙々と家に篭って仕事をする京都の袋物職人だった父。フリーランスのライターの私とは業種は全然違うのに、働き方は驚くほど似ている。友達が少ないことも同じで、正直後に残されたのが父ではなく、アクティブで社交的な母親だったことに私は少し安堵を覚えた。実の父は酒も飲まず、大人になってからじっくり話した機会は数えるほどしかないけど、今でも妻の手術とその結果など、人生の大きな岐路に立った時には無性に相談したくなる。

 

老人Aは隣の部屋の住人で、独身時代に私が今のマンションに引っ越して来た時には既に痴呆の症状が出ていた。深夜4時にワケのわからないことを話しながらウチのドアを叩いて寝ている私を起こしたり、エレベーターで小便を漏らしたり、迷惑をかけられることもあったが、私自身が40歳過ぎた独身フリーランスという世のはぐれ者なせいか、どこか同じはぐれ者という感覚があり不思議と怒りや嫌悪ははなかった。仙人のような外見もあって、どっちかと言うと「お騒がせファンシーキャラ」みたいな感覚だった。しかし後にマンションの他の住人から、老人Aが妻に先立たてからボケ始めたと聞いた。それは結婚した後では身につまされる話でもあった。明晰な思考で連れ合いに先立たれた現実を生きるよりは、思考にモヤがかかった今の状態の方が本人は幸せなのかもしれない。そんな風に考えることもあった。そんな老人Aも施設に引き取られて行って今はいない。

 

私の部屋の真下に住むハゲは愛想のない男だった。年は65歳を過ぎた頃だろうか。エントランスですれ違ってこちらから挨拶をしても返事はおろか会釈すらしない。独りで暮らしているようだったが、偏屈だから独りなのか、独りだから偏屈になったのかそれはわからない。そんなハゲをしばらく見なくなったある日、訪れた警察からこのハゲが部屋で一人亡くなっていたことを知らされた。連絡がないことを不審に思った仕事関係者が部屋を訪れて発覚したという。天涯孤独で荷物の引き取り手もいないそうだ。世間的には孤独死というのだろう。統計によると独身男性の死亡年齢の中央値を出すと66.3歳だそうだ。有配偶男性の死亡年齢中央値は81.3歳なので、これは15年も早い。年金を払い続け、その年金を受け取ることもなく死ぬのかと思うとあまりに世知辛い。

 

その3人のことを思う時、彼らは私の行くべき将来の姿、あり得るかもしれない未来の姿、そして妻と結婚しなかった場合のあり得た姿(あるいは妻と別れた末路)を示しているかのように感じることがある。なんとなく私の人生に訪れたメンター的な存在のような気が勝手にしているのだ。

 

以前のblogでBEYOOOOONDSの島倉りかさんが、道で拾ったカナブンに「アキラ」と名前をつけていた。父の名前だった。次の日のblogでそのカナブンがメスだということが判明していた。適当過ぎるよりかちゃん・・・・・・。