えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

眠れる森のビヨ:雑感系つぶやき

個人的に嗜好に刺さるのは『LILIUM』だし、アイドル舞台としては『アラビヨーンズナイト』が愛おしいんだけど、演劇としての質が最も高いと思うのは『森ビヨ』。現時点でのハロプロ演劇の最高到達点の一つだと思います。アイドルの舞台はちょっと・・・という人にも一度見てほしい! 

 

■実在感

それを支えるのは登場人物たちの圧倒的な実在感。属性のみで配置されたような劇画化さ れたキャラクターではなく、また演じるメン バーの個性を引き移すのでもなく、別個の人格と人生を持った厚みのある人間として表現されています。舞台の上でメンバーではなく、その人物がちゃんと生きている。そう言えるレベルの実在感はこれまでのハロプロ舞台では見られなかったもの(それ故に登場人物が劇中劇でまた別のキャ ラクターを演じ、あまつさえその中でキャラ ではない本音が漏れ見えるというシーンが、 まったく無理なく成立可能となっている) 。そしてこの「そこに生きている」という感覚が真に迫るからこそ、後半のツイスト展開が生きてくる・・・。

 

実在感に関して言えば、やはり特筆すべきなのは男役の面々で、それだけの実在感をもっ て異性を演じ切っていることがまず素晴らしい。脳内補完なしでも男にしか見えません。 立つ佇まい、息の仕方のレベルまで少年としてそこに存在している。主演の平井さんはもちろ ん、「なよなよした男」を演じてなお男にしか見えないこころちゃんも凄い!

 

 

 

■運動部との対比

どうして自分がこんなに劇部のみんなのことが好きなのか。どうして彼らが過ごす時間がこんなに眩しく見えるのか。それを考えたんですけど、それは彼らがありのままの自分でいられる関係だからなんですよね。 

 

言葉がキツ過ぎるノゾミとか、中学時代は「空気」と呼ばれてたツムギ君とか、普段は周りをよく見てるのに突然「演劇は自由だー!」をブッ込まずにはいられないイケメン先輩とか、逆に高校生としては成熟し過ぎてる夢子とか、ひとクセもふたクセもある人がその個性のまま、浮きも排斥されたりもせずに受け入れられている空間。モテ序列の上も下も関係がない空間。それは大人になった後では決して得ることができない、自分がありのままの自分でいられた「居場所」であり、万人にとっての憧憬と回帰願望の対象なんです。

 

彼らが乾杯して飲むジュースの味は、その後の人生で飲むどんな高級な酒よりも美味い。そのことを大人になってしまった観客はもう知っているので、あの瞬間が愛おしくて仕方がないのです。

 

そんな、ある意味閉じた理想郷である演劇部に対する唯一の「外部」として描写されているのが、「運動部」。運動部の体育会系コミュニティというのは、序列や力関係に合わせて自分を矯正し、理不尽な慣習に従うことに慣れる場所。おそらくは社会に出た後のルールと親和性が高く、そういった意味では社会訓練的な意義が強いコミュニティなんですよね(だから一部の企業では新人採用に際して体育会系を重宝する)まぁ上記はちょっと脚本家の偏見も入っているし(劇部に投げ込まれたゴミ袋に「ヘタクソ」「オタク」って書かれてた。ひどいw)、現実には文化系部活にもさまざまな序列ファクターは入り込むから、これは「究極的に美化された文化系」と「偏見込みの体育会」ではあるんだけど、だからこそその対比は鮮やかに浮かび上がります。

(劇部みたいな青春を過ごして育った人が体育会系一気飲み強要文化に放り込まれたらメンタルが死ぬ)

 

 

■演劇は自由だ

ヒマリが声音一つ、照明一つで5年の歳月を行き来する様を見ると、本当に演劇という表現がいかに自由で幅があるかに感嘆する。演劇の自由さって別に演技中に好きなことを叫ぶことじゃないぞ、浜田!

 

■でも浜田は

「自分がカッコいい役がいい」とは言うけど、「自分が主役がいい」とは言わないところがイイよな。

 

■妄想考察

運動部が劇部をやけに嫌ってるのは、野球部のエースが夢子に告白してフラれたから。クラスのカースト上位女子がそのエースのことを好きだったので、一時期夢子はクラスに居づらかった。逆恨みしたエースに悪い噂をバラまかれたけど、ヒカルの活躍で後に解決。

 

 

■ホラーエンド

これは解釈とかではないんだけど、想定される一番のホラーエンドは、ヒマリがいる限りヒカルは帰って来ないと悟ったツムギが、まずヒマリを自分たちの側に連れて行くというもの。ツムギによってヒマリは事故に会い、ヒマリも帰らぬ人に。だから最後のシーンでヒマリはお姫様の舞台衣装で、劇部の部員たちと同じ側にいる。

 

これまで「生」の側へとヒカルを引き寄せて繋ぎ止めていたヒマリの想いはそのままヒカルを夢の世界へと誘う力へと反転する。想いの強さはそのままに。そしておそらくその時ヒカルにはもう抵抗する心の力も拠り所も残されていない・・・。そう考えると最後のシーンがめちゃくちゃ怖い💧

 

■夢子の歌うま過ぎ問題w

4回目にしてようやく歌を聴く余裕ができたんだけど、皆歌うまい! 普通にハモってるしなぁ。劇中人物としての感情がバッチリ乗った上で歌唱としても完璧。すご・・・。

 

ただオーロラ姫の歌はちょっとうま過ぎません? 今回の舞台は、日替わりネタとかメタ視点のパロディといったアイドル舞台でありがちなファンサービス要素が排除されていることもあって作品世界への没入感がエグいのよ。そんな中でただ一点だけ没入を阻害してしまう要素が、劇中劇内での夢子が演じるオーロラ姫の歌がうま過ぎるということ。スペースゼロに高らかに響き渡っとるやん。 さすがにあれはいくらエースとは言っても「田舎の高校の演劇部」の範疇を超え過ぎてて、あそこだけは「トップアイドル集団の中でも上位歌うまメンの西田汐里」であることを思い出してしまう。本域のしおりんはアカン💧 実は演劇としては、もう2段階くらいグレードを下げるのが適正な気がする。

 

そして夢子、「私だって歌は全然よ」とかどの口で言ってたんだ・・・💧

 

 

 

 

千穐楽・美葉ちゃんの最後の挨拶

 終演後の挨拶の言い出しがみんな

「●●を演じさせて頂いた●●です」とか「●●を演じた●●です」

だったのに、美葉ちゃんだけ

「ヒカルだった平井美葉です」

だったのは最高にカッコ良かったし、ヲタクはみな首がもげるほど同意した。そう、確かに美葉ちゃんはヒカルだった。 ヒカルとして舞台の上で生きていた・・・。

 

 

■りかちゃんの最後の挨拶で

 劇部の皆の11人が楽しそうなのか悔しかったり寂しかったとりか様。その気持ちを演技のエネルギーに変えたと強がっていたけど、辛かったのも本心だろう。 それを「時期は違うけどヒマリも華山高校演劇部の部員だから」とフォローするヒカル。 あれは惚れますわ。

 

■紗耶ちゃんの最後の挨拶で

江口紗耶ちゃん、最後のメンバー挨拶で、山上っぽい何かを入れるか逡巡したものの特に何も思いつかず、 妙な間を空けたあげくに中途半端なガッツポーズをするだけになったの、結果的にめちゃくちゃ山上だった。 

 

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