えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

のぼる小寺さん

モーニング娘。OGの工藤遥による初主演映画『のぼる小寺さん』を見てきました。

 

やりたいことに真っすぐな小寺さんをハブとして、関わった人たちが少しだけ前向きになれると青春群像劇。--として素晴らしい内容であったことは少し検索すれば並々ならぬ熱量で語っている人がたくさんみつかると思うので、ここではハロヲタとして、やはりまずは女優・工藤遥が求められての起用だったと確信できたことに大いに喝采を送りたいのです。

 

 

もっと人気も実績も華もある女優さん--例えば橋本環奈や広瀬すず--を使いたかったけど予算とスケジュールが合わなくて工藤遥なっちゃった…というのとは違う。逆にもっと平凡なルックスの子が内容にはマッチしてたんだけど宣伝効果が欲しかったから名のあるタレント・工藤遥を起用した、というのとも異なる。ストーリーと演出の要請から工藤遥その人の起用が必要だったのだと、そう感じられる内容であったというのが嬉しいじゃないですか。

 

工藤遥の、いや我らが“どぅー”の最大の特徴はやはりハスキーな低い声でしょう。配役として「ただの美少女」を求めるのなら、そのハスキー要素がノイズとなってしまう。でもその低い声を特性として生かせるなら唯一無二の俳優となり得る。そこでこの映画での小寺さんというキャラクターですが、教室では少し浮いた存在で、思春期にありがちな自己顕示欲や、異性への興味、同調への焦り、はみ出すことへの恐れをあまり感じさせない子なんです。だから高く明るい声よりも、どぅ-の低い声が朴訥にも響いてよりハマっているんですよ。

 

それともう一つこの役の上で大事なのは「華やか過ぎてはいけない」ということ。「教室ではそこまでパッとしていないし、異性から注視される存在でもない」、「でもボルダリングに打ち込んでいる時は輝いて見える」というバランスがストーリー上必要なんです。その難しいバランスにどぅーが丁度良い。もちろん十分美少女などぅーですから、それは演出技巧もあってのことですよ? 教室のシーンではちょっと光の加減で顔色が暗く映されていて、一方で近藤君(小寺さんに惹かれいくクラスメート)が目撃する彼女のボルダリングシーンでは明るく、どぅーの透明感が際立つように撮影されている。ダラダラ饒舌な説明ゼリフなんかなくても、そのシーンの絵作りがそのまま近藤君の心理描写となって自然に観客の感覚に入ってくるのが、豊かな映像言語~~!って感じなんですよ。そう、輝いて見えたんだよな! 目標をまっすぐ見据えてる彼女が眩しかったんだよな!って伝わってくる。もうそのワンショットの説得力ね。これが冒頭にあることで、映画の牽引力でもある「頑張ることへの憧れ」に自然に共感し、スムーズにお話に入って行くことができました。派手なストーリー展開があるわけじゃないからすごく空気感が大切な映画なんだけど、かと言ってフワフワ作ってるわけではなく作劇技法としてロジカルに詰められているなと。

 

そもそも前述した通りの「自己顕示欲とは無縁の天然少女」をあの自意識の塊みたいなどぅーが演じてるのに、それがまったく自然に見えるっていうのがね! どぅー目当てで見に行った私のような人間が、どぅーとはまったく異なる少女として自然に見ていたのが既にすごいことですね。

 

 

 

 

■原作の見事な改変

原作コミックから映画への改編についても触れておきましょう。

 

原作の「小寺さん」は金髪の美少女で、露骨なセクシーアングルのショットも多い(ただし序盤のみで中盤以降はなくなる)。そして作品世界的にも衆目を集めるアイドル級の美少女ということになっています。よく「マンガはまずはキャラクター」と言われますが、原作における読者の興味を牽引する最大のフックがこのヒロイン・小寺さんのキャラとしての魅力であることは間違いないでしょう。

 

一方で映画では小寺さんは作品世界の中心ではありますが、物語はむしろ彼女の頑張る姿を見て心を動かされていく周囲の人々の姿を追うことで推進していきます。なので原作のままでは小寺さんのキャラクターが立ち過ぎる。そもそも原作のままだとヒロイック過ぎて実写映像のリアリティから逸脱してしまいかねない。そこで金髪から黒髪となり、「教室では目立たない子」に改変されているんだと思います。

 

これがアニメ化だったら改変は必要ないんでしょうけど、今回のように青春群像劇を目指して実写化するのであれば、適正な改変であったように思います。

 

ここから派生して一つ関心したのが、「田崎ありか」という登場人物が原作にはない眼鏡をかけていたこと。これは小寺さんを金髪美少女から黒髪地味子に改変したことを受けて、キャラクターの描き分けとしてありかはさらに地味に調整されているのでしょうね。原作のキャラクターデザインをただ引き写すのではなく、物語の役割上求められる姿にちゃんとリデザインしているのが、媒介に合わせた「正しい翻訳」って感じでした。

 

ただありかを演じるのが小野花梨さんなんで、野暮ったいおさげにダサ眼鏡でも、なんかこう、アレな魅力が滲み出ちゃってるんですよね(汗) まぁそこは仕方がない。あとありかのエピソードで一つ原作と意外な違いがあるので、そこは見比べてどうしてそうなったか考えるのもなかなか面白いと思います。