えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

カフェでコーヒー

家から徒歩1分の所にこの1月から新しくできたオシャレ気なカフェは居心地が良くてなかなか気に入っています。何を気取っているんだと言われそうですが、私の場合自宅で仕事をしているので、そういう1時間ぐらい時間潰しをして気分転換できる批難場所が近所に必要なんですね。ちなみにそのカフェは小説やマンガの蔵書も充実していて、今は『ピアノの森』を読んでいるところです。ショパンコンクール編がなかなか終わらない……。


前に住んでいた武蔵小金井ではそういった批難場所が、やはり家から歩いて1分の昔ながらの街の小さなゲームセンターでした。パズルゲームを黙々と90分ほどプレイして頭を空にし、面子が4人そろったら『ガンダムVSガンダム』のグループ対戦にいそしむ。時にはそのまま麻雀に雪崩れ込むこともあったりして。映画『シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイヤ』や『ハングオーバー!』シリーズが示す通り、人生でもっとも楽しいのはドラマチックな恋愛でも、努力の果ての栄光の勝利でもなく、「いつものボンクラ仲間とわちゃわちゃすること」。私にとってそのうらびれたゲームセンターはまさに無上の居場所でした。しかし時流には逆らえず、残念ながらそのゲームセンターは閉店してしまいました。あそこが閉店してなかったら、今の場所に引っ越すこともなかったかもしれません。


そんなゲーセンにたむろしてた私が今やノーパソを開くノマドワーカーやオサレカップルに交じってカフェですよ。コーヒーを嗜んじゃったりしておりますよ。ここのコーヒーは本格的ですが、豆が2種類、挽き方が2種類しかなく、その組み合わせは多くはありません。コーヒーにまったく詳しくない私でもその4通りの組み合わせを試せば自分の好みの味ぐらいは確定しますから、いつもオーダーする定番メニューもできました。ゲーセンからオシャレカフェへ。世間的にはより真っ当な方向へステイタスアップということなのでしょうが、私としてはまさに「パラダイス・ロスト」…楽園を追われた者の心情でもあったりするのです。コーヒーの味の違いなんぞがわかるように“なっちまった”ぜ。 そんな感傷がコーヒーとはまた違う苦さを胸に広げるのでした。


先日も仕事が待つ自宅に直帰したくなくて、出先からの帰り道にそのカフェにひっかかってコーヒーを飲んでいたんですが、かすかな歌声が隣から聴こえてくるんです。何かと思って横を見ると、そこには学生らしき女性がイヤホンで音楽を聴きながら、熱心に楽譜に何かを書き込んだり、アンダーラインを引いたりしていました。音大生でしょうか。その作業に集中するあまり、無意識に声に出して歌っていることに気づいていなかったんですね。「彼女は今、青春の中にいる」。ふいに訪れたその感覚は私の胸を少し締めつけました。それこそ物理的には1mと離れていませんでしたが、彼女と私の間には20年近い歳月が横たわっている。あんな時代が私にもあったのだけれど。在りし日から自分が過ごして来た時間の長さに、何か狐につままれたような心地がします。20年? 嘘でしょ? あの日々からそんなに遠くに俺は−−  


それでも救いなのは、大成功を収めているわけではない現状を少し残念には思いながらも、その間の歳月を激しく後悔することもなく、自分を嫌いになることもなく、今を静かな心持ちで受け入れている自分がいることでしょうか。「青春のおすそわけ」とも思える彼女の微かな歌声を聴きながら、しんと痛む胸を愛おしく思いながら、お気に入りのコーヒーを味わったのでした。





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