えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

2014年はハロプロ総括の年だった?

つんく♂さんの手記『だから、生きる』を読みました。歌手が声を失うという壮絶な経験の告白であり、本人やご家族の胸中を想って涙が止まらぬ闘病場面もありながら、読んだ後は何やら前向きになれるという不思議な読後感。やはりつんく♂は俺達の憧れるかっこいいロック兄さんでありました。


そういった本の主題とは別に、気になったのは、この本で明かされた2013年の時点でつんく♂氏がアップフロントの会長からハロプロの総合プロデューサーを降りることを打診されていたということ。つんく♂の体を気遣ってのことか、あるいはまったく別の展望があったのか、会長の真意は定かではないですし、実際に降板がいつ決定したかも不明です。しかしなんとなく、2014年の時点ではつんく♂の総合プロデューサー降板が既定路線として確定していたように思えます。と言うか、当時は不可解だったことがそう考える事で腑に落ちたといった具合です。思い返せば2014年には「つんく♂プロデュースのハロープロジェクト」としてはまとめに入っていたような動きがいくつか散見されました。


メンバー単位ではなくグループ単位で考えると、大きくは
Berryz工房の活動停止
スマイレージの増員・改名
モーニング娘。に「'14」という符号がつく
この3つでしょう。
もちろんこれらの変更にメンバーの意向がまったく無関係だったとは思いません。しかし同様に事務所の意向がまったく働かなかったこともないはずなので、それを前提に話を進めます。


まず「ベリキューのどちらか一方しか存続させない」という判断が打倒だったかどうかはわかりかねますが、「残すなら℃-ute」という判断は納得がいくものでしょう。℃-uteの特性はスキル寄りであり、それは別のプロデューサーの元でも生かすことはできましょうが、BerryzのあのわけのわからないBerryzらしさとしか言いようがない魅力はやはりつんく♂氏でないと引き出せない気がするからです。


スマイレージの大改変も増員はともかく知名度と慣れ親しんだ名を変える改名に何のメリットがあるのかは謎でしたし、「2期メンに相談せずに1期だけで決めた」という公式ストーリーともあいまって受け入れ難いものでした。しかし「つんく♂プロデュースでなくなる=別のグループとなる」という区切りだったのだと考えるとある意味納得がいきます。と言うか、「『スマイレージ』という名のユニットは“つんく♂プロデュースのグループ”としての生をまっとうしたのだ」と考えることで、改名を前向きにとらえられる気がするのです。


モーニング娘。の符号については非つんくハロプロが2015年にスタートを切っていることが考慮すれば、今年を機に「'15」とつけ始めることにしても良かった気もします。ただそれだと道重さんが卒業することによる区切りが必要以上に強調されてしまうので避けたのかもしれません。もしくはまったく別の意図でモーニング娘。だけはつんく♂プロデュースが継続するつもりだったのか。このあたりはいまだに霧に包まれたですね。




こうして2014年に「つんく♂ハロプロ」としての総括を終え、2015年の正月のハロプロコンサートにてハロプロは新しい体制でのスタートを切ったのでした。そのステージでパフォーマンスを初披露したアンジュルムカントリーガールズは新時代の幕明けの象徴でもあったのでしょう。『MUSIC+』でレコーディング風景を流したりとこれまでとは違うアプローチが試みられましたし、楽曲としても非常に力の入ったものがクリエイトされたのも、そうした意気込みの表れであったのだと受け取っています。そして結果として、その両者ともファンシーンでは大いに盛り上がりを見せ、素晴らしいスタートダッシュを成功させたように見えました。
(だからこそ、その勢いにブレーキをかけることになった島村嬉唄の脱退は、事務所にとってはなおさら痛恨事だったのでしょう。あの脱退発表文に悔しさが滲みまくってましたからね)


加えてハロプロ研修生からこぶしとつばき両ファクトリーの結成です。つんく♂の降板によって楽曲の提供ペースの低下が懸念される中で、消極策ではなくあえて攻めの姿勢を見せた事務所。ハロプロ健在なりと見せつけたその意気込みはファンとしては頼もしい限りです。