えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

物語が描くべきもの

では結果的にうまくいかないから彼女たちの行動に何の意味もなかったのか? 本作は無為の物語なのか? と聞かれれば答えは否でしょう。どういう結末を迎えるかには物語の重心はない。そう、結果ではなく、フェリオサ達が人間らしい生への回帰に挑んだ瞬間を描くことにこそ意味があったと思うのです。一瞬の希望を信じ、情熱をもって行動を起こした瞬間。その瞬間に魂に注した光を描く。変更不可能な現実の前に「それでも」と抗い、あがく人間の姿を。
(この「それでも」は『ガンダムUC』の主人公が、閉塞した現実の理不尽に直面した時に繰り返したセリフでもあります)


アイドルだってそうです。アイドルを「卒業したら全然テレビに出なくなった」「しょせんその程度」なんて言って揶揄する人はいつだっています。結果的に「芸能人」として大成しなかったからと言って、彼女達が青春時代を捧げて放った輝きの尊さが失われるわけではないと思うのです。


クソったれな人生を照らすのはいつでも一瞬の希望への信仰であり、それに殉じる懸命な生です。つんく♂が『I WISH』に込めたもの。「人生って素晴らしい」、そう感じることができた自分の魂に殉じることだけが、ままならず、そして延々と続くその後の人生を切り拓く力を与える…… 私はそう信仰しています。


このように私の中では『マッドマックス 怒りのデス・ロード』と、『ガンダムUC』と、モーニング娘。はつながっておるのです。



(※)
その時は闇落ちしたフェリオサは義腕にいかつい武器を装着して「鉄腕のフェリオサ」とかいう二つ名で呼ばれているんでしょうね。それが次回作のラスボスだったりしたら痺れる…。