えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

道重さんの卒業と紅白

私が道重さんの卒業が年内秋ツアー最終日であると知って、ショックを受けた後に最初に頭に浮かんだのは「じゃあ今年の紅白には道重さんは出れないの?」という事でした。この事を気にかけた人は多かったようで、彼女の意図がどこにあったかと推し計る言説もあちこちで見聞きしました。代表的なところでは先日のダイノジ氏のラジオでしょうか。ダイノジ氏は「『紅白』を卒業の舞台にしてしまうと、自分にばかりスポットが当たって視聴者の目が後輩に行かなくなる。だから紅白を前に勇退する道を選んだんじゃないか」という事でした。確かに「晴れの舞台を後輩に託して」というのは美しい物語だと思いますし、またそのように彼女の意図を分析したり推察する行為自体も私の大好物であったりします。それが正しいか否かは重要ではなく、そうやって彼女達について語る事そのものが、彼女たちへの愛を表明する行為に他ならないと。


なのでその内容を否定する気はまったくないのですが、その内容に一つ心に引っかかっている部分があるんです。それは「後輩に託す」という意図が仮に本当だとしても、それはどこまでいってもモーニング娘。サイドの都合であるという事です。仮にNHKサイドがモーニング娘。を今年の『紅白歌合戦』に選出するとしたら、NHKとしては「道重さゆみが在籍するモーニング娘。」に出演して欲しいのではないか? 私の疑問はそこです。


紅白歌合戦』とは誰かが名を売るための場所ではなく、既に名を成しその年に活躍したスターが集合する場です。いや、名を売るという私的な目的があるにせよ、公的なニーズが優先される場であるはずです。「今のモーニング娘。? 道重しか知らないわ」と言われる現実がある以上、やはりそこに求められるのは「道重さゆみが在籍するモーニング娘。」ではないかと思うのです。


メディア出演というのはメディア側から求められて初めて成立するもの。そしてその求められた役割を全うしてみせるのが誠実な仕事というものです。道重さんがバラエティで活躍できたのも、自分がその場で何を求められているかを読む嗅覚に優れ、それに誠実に応えていたからでしょう。果たしてそんな彼女が、相手が自分達に求めている事や、その場の意味合いを無視して「紅白の晴れ舞台を後輩に託す」という私的なストーリーを採択するでしょうか? 結果的にそうなる可能性はもちろんあります。ですが、彼女がそれを積極的に意図するかと言うとどうもしっくり来ないんですよね。


そもそもそこまで確定事項として前提にできるほどには今年の『紅白』出場はまだ安泰な状況ではないという気もしています。それもあって私は卒業時期の決定については『紅白』は実はそこまで重大なファクターとしては関わっていないんじゃないかという気がしているのです。秋まで確定しない要素ですから、今後の予定や心構えにあまり深くは組み込めないんじゃないかと。ただそこに意図がなかったとしても、結果的に先にダイノジ氏が語られたような、美しい物語が現出する可能性は当然ありますよね。『紅白』の舞台上で、その場にいない道重さんを想っているであろう譜久村さんの姿などを想像すれば、もうそれだけで涙腺が緩むというものです。


それと、何かの意図があったにせよなかったにせよ、道重さんが紅白を前に卒業するという事は後輩にとっては僥倖であったと私は思っています。だって、道重さんが後輩達に『紅白』の景色を見せ、そこを卒業の花道になんかにしちゃった日には、物語としての完成度があまりに高過ぎるじゃないですか。そんなものを目撃したら私の中で問答無用にそこが一つの「頂点」になってしまいます。そして後輩たちにとって高過ぎる頂きに残されるのはあまりにしんどい事ですから


誰かの意図であるのか、何かの事情の結果であるのか。どちらであったとしても、それをメンバー達がどういう覚悟で受け入れ、いかに乗り越えていくかの過程にドラマは発生するものだと思うのです。願わくば、いつか道重さん本人の口からすべてを聞く日が来て欲しいですね。もしかしたら「なんだぁ」と言うような、思わず笑ってしまうような事情かもしれません。でもそれこそ人智を超えた偶然が彩る人生の妙味であり、またモーニング娘。の魅力だとも思えるのです。


このあたりは「秋葉原の小劇場から東京ドームへ」というサクセスストーリーのフィナーレで前田敦子を華々しく送り出したAKB48に少し重なる部分はありますね。若いメンバーも頑張っているのでしょうが、対外的には新しいストーリーを立ち上げる事に苦労しているように見受けられます。