えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

『ごがくゆう』その2

で、今度は劇中で内面の変化を迎えたメンバーについて。


リオン(工藤)
当初リオンはDVで傲慢な父親に育てられた影響で従者としての使命に縛られ、整形してフェイの影武者となる運命を受け入れている。だけど劇中で父親(を含む運命)からの束縛を振り切り、自分自身として生きる道を選び、さらに使命ではなく自分の意志としてフェイに寄り添う道を選択する。



クリア(石田)
N国の下町食堂の看板娘。フェイ達の正体に気付いた彼女は当初は彼女達の様子を隠し撮りし、新聞社にスクープとして売りつけようと画策する。だけど親友ミラーの態度やフェイ達との交流を通じて心を改め、彼女達を金儲けに利用するのを止める。



基本的に2時間弱の作品中で「劇中での内面の変化」が訪れる場合、その変化は、「誇りを取り戻す」とか「トラウマを克服する」とか「迷いを振り切る」といった感じでそのキャラドラマにおけるピークに設定されていることが多いものです。このリオンとクリアの変化もそうあるべきだと思うんですが、その変化(=ドラマのピーク)に至るディテールやエピソードの積み重ねが不足していることによって、変化と物語の盛り上がりがイマイチ同機していない印象でした。オタクなんで脳内で補完して楽しむことはできるんですけどね。例をあげるなら、クリアはフェイとの仲が深まって友情が生じるにつれて、彼女を金儲けに利用しようとしていることに徐々に迷いが出て来て、そのことをミラーに指摘されてツッパっちゃって、「素直じゃないんだから」なんて言われたり。そういうのをもっと見たかったなと。あと彼女が改心するきっかけがもっと印象に残るように描かれていれば、その「変化」にも説得力が出たのになと。


2人とも「変化」を表現するには描写不足なんです。おそらくは鞘師さんが演じるフェイの変貌に伴う「衝撃の展開」部分で尺が食われ過ぎて、2人分の変化を丁寧に描く時間はなかったということなのでしょう。



フェイ(鞘師)
さてフェイです。内面が変化するキャラと言えば劇中で一番変化したのは鞘師さんが演じるフェイ姫だったわけですが、「王宮育ち故に世間知らずで無邪気なお姫様」が 脈絡なく「生き物を傷つけることに何も心が動かないサイコパス」に変わってしまうというのは、変化というか、もうまったく別のキャラですよね。私は主役のキャラクター性が終盤で唐突に変わってしまうのを是とするのは、脚本に対する評価として甘過ぎると思うのです。例えその変化を鞘師さんがどれだけ熱演していたとしても。


キャラドラマを描くために変化があるのではなくて、物語の起承転結の「転」を生むため…要するにストーリーを転がすために登場人物のキャラクター性を突然変えてしまっているのです。これはキャラクター描写としてはっきり破綻していますし、物語としての整合性も怪しくなっています。 このフェイの変貌による「衝撃の展開」によって、リオンやクリアの内面の変化も物語の焦点から外れてしまっていますし(実際それどころじゃなくなる)



そんなわけで、私的には演劇作品としては厳しめの評価なんですけど、ただ確かにこのフェイの変貌による「衝撃の展開」がなければ、よくある『ローマの休日』もどきのロマンティックコメディであり、平坦な印象を与えたという気もします。「キャラクター描写はしっかりしているけど展開が平坦な作品」か「キャラクター描写はやや不足しているけど派手な展開の作品」かの二者択一で後者を選んだ結果なのかなと。この両者のどちらが好みかで今回の『ごがくゆう』の評価は分かれる気がしますね。



私としては「今回と同じ人が脚本を担当する舞台ならもう見なくていいなぁ。 娘。は参加しなくていいなぁ」といった所です。