えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

ヲタ歴2011/AKB48

AKBには近づきもせず、遠ざかりもしない1年でした。『Everyday、カチューシャ』のダンスとフォーメーションの妙は大人数アイドルグループのパフォ−マンスとしては一つの到達点だと思いました。素晴らしいと思ってます。


ただ、個人的には一つだけずっとモヤモヤしてることがあるんです。AKB48のシングル曲って春に出る桜曲、秋に出るシリアスなアジテーション煽りソング(『RIVER』、『BEGGINNER』、『風は吹いている』など)、笑顔で歌う青春恋愛ソングと大まかに3種あるじゃないですか。で、恋愛ソングは男子目線の歌詞になっているし、煽りソングは女性性は感じられない中性歌詞なんですよね。


なんだろ、『Everyday、カチューシャ』のパフォーマンスとかを見ていると、あの年代の「少女」ならではの若々しさ、躍動感、生命力とかを感じはするんですよ。生歌ならきっともっと感じるとは思うんですけど、ダンスを見てるだけでもね。ただ、やっぱ、ストレートに女子目線の歌詞がないせいか、それが楽曲とガチッと合っている感じを受けないんです。


恋愛対象としての女の子の魅力とか、恋愛(SEX)市場での若さの商品価値といったものは伝わって来るんですけど、逆に言うとそれだけしかない。男(自分)にとってどういう価値があるかであって、少女そのものの特性と価値には歌世界が届いていない…そんな気がするのです。「少女」を見ている時に感じる、そこにいるだけで発生している価値、彼女たちが彼女たちにとってのかけがえのない季節を仲間たちと共に過ごし、毎日本気で泣いたり、他愛ないことで笑ったりしているのだと思うだけで、このファッキンな世の中も捨てたもんじゃないんじゃないかと思えるあの人生に対する肯定力。…そういったものは歌世界の中には感じないのです。


それは(調子の良い時の)ハロプロ曲には感じ、AKB曲には感じない要素。そしておそらくは、つんく♂秋元康の女性観の決定的な差から生じている違いだと思うんですよね。それは結局、秋元康がどれだけソツがない歌詞を書こうとも私がAKBに対して最後の一歩を踏み出せない部分であり、そして同時にどんなに外したことをやっていてもつんく♂を見限る気になれない部分でもあるんです。


すいません、この辺ちょっとまだ自分の中でもまとまってなくて、上手く言えないんですけど。でもずっとモヤモヤしてる所なんです。




で、いつも何かについて言及する時って、自分の感覚がどれくらい標準的なものなのかは把握できているつもりなんですけど(あくまで主観的にはね。正しいかどうかはともかく)、上記の感覚に関しては、こんなことを感じているのが自分だけなのか、そうじゃないのか、的外れなのか、誰かの賛同を得られるものなのか、皆目見当がつかないんです。皆さんはいかがですか? もし良かったら賛同/反対どっちでもいいんで一言ご意見をお聞かせ頂ければ幸いです。