えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

萌えアニメ

けいおん!という病。”全員女子大進学問題”を考える  (アニオタ保守本流

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要約すると『けいおん!』の主要キャラ4人が同じ女子大に進学するという最終回を受けて、「青春の別離」を描かないのは物語として失格であると。


私は商売柄そのシーズンに一番はやってるアニメぐらいはチェックしますけど、「萌え」を主体とした作品は苦手なので、『けいおん!』も主要キャラを把握した時点で視聴をやめていました。ですからその件の最終回は見ていません。 ですがこのblogで書かれている言ってること自体は至極まっとうだと思います。ただ一方で、「『けいおん!』に言ってもな…」という気持ちも。


以前から私は「萌え」の本質は「停滞」であると書いてきました。
私が思うところの恋愛と萌えの一番の相違点とは、
恋愛は何かの動機たり得る感情であるということです。


例えば誰かを好きになった場合、

もっと知りたい
声をかけたい
つき合いたい
触りたい
愛されたい

とさまざまな動機が発生し、その動機の先には、それを実現するための
現実的な行動や努力が想定できます。
何かをしないではいられなくなる感情なのです
(だからこそ何もできない自分との軋轢を生み、成長をうながす)


だけど誰かに“萌え”た場合、それはその感情が発生した時点がゴールであり、
そこで因果は完結します。「何もしない自分」をどこまでも許す感情なのです。


「どこにも向かわない」「何の変化ももたらさない」ことこそが萌えの要点。
そう考えれば、この「萌えアニメ」の代表作である『けいおん!』が
このような末路を辿ることは、まさに順当な帰結とも言えましょう。



ただ言っておくと、私は好みとして「萌え作品」は好みではありませんが、
別にそれらが「悪」だと思っているわけではありません。


「忙しい仕事や、ままならない現実と戦う合間には、
現実から逃避し、ダラダラと自分を許す時間があってもいいじゃない」


脂の抜けた元アニオタとしてはそう思うからです。