えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

読了

『褐色の文豪』 佐藤賢一文藝春秋
日本で知名度の高いフランス人と言えば誰が思いつくだろう? 全世代的にはナポレオン・ボナパルト、マリー・アントワネット、ジャンヌ・ダルク、それにダルタニャンあたりがランクインするのではないだろうか。西洋史を題材とした歴史小説を手がける佐藤賢一にとってもおそらくはフランス史への興味の原点はそのあたりにあるらしく、ジャンヌ・ダルクについては『ジャンヌ・ダルクまたはロメ』、『傭兵ピエール』を。そして『三銃士』の主人公たるダルタニャンについては『二人のガスコン』、『黒い悪魔』、『褐色の文豪』とそれぞれ多数の作品を発表している。


この中で『黒い悪魔』は小説中のダルタニャンのモデルとされたと言われているアレクサンドル・デュマ将軍を主人公としたものだ。デュマ将軍は『三銃士』の作者であるアレクサンドル・デュマの同名の父親であるが、恥ずかしながら私はその事実を知らなかったために、読みながら「この無敗の将軍はいつ文学に目覚めるのだろう?」と首をひねったものだった。ちなみにこのデュマ将軍の息子の文豪デュマの息子もまたアレクサンドル・デュマという名でこちらは『椿姫』の作者である。オマエらいい加減にせえよ。
(日本では共通の漢字を一字つけるという形式があったためか、まったくの同名をわが子につけるってパターンは歴史上ほとんど見ないですね)


で、この『褐色の文豪』は将軍デュマの息子たる文豪デュマを主人公とした物語で、一応は『黒い悪魔』の続編にあたる。黒人奴隷とのハーフであった将軍デュマが「黒い悪魔」であったのに対し、クォーターである文豪デュマは「褐色」というわけだ。佐藤賢一が描く主人公像はかなりシンプルな行動原理や思考の核たる部分を持っている場合が多いが、本作の文豪デュマにおいては、幼い頃に亡くした偉大なる父親への憧憬と、父親から受け継いだ肉体への自信、自分は父親よりも薄い「褐色」に過ぎぬという劣等感などがそれにあたる。それらを真ん中に据えれば、文学への目覚め、革命への参加、盗作疑惑、政治進出の敗退、破産、ナポリ解放といった波乱の人生がブレることなく一つの流れの中で生き生きと紡ぎ出されるという寸法だ。まさに佐藤賢一節の真骨頂ともいう内容。


シンプルな行動原理をもった(それ故に理屈よりも実践が先に立つ行動的な)いわゆる天然タイプの主人公を描くにあたって欠かせないのが、それを効果的に際立たせるサブキャラクターである。多くは「その才能と行動力に嫉妬。キーッ!」という、『アマデウス』におけるサリエリのような役所になるわけだが、本作ではその役にヴィクトル・ユゴーが配置され、良い味を出している。



佐藤賢一はナポレオンを題材とした小説は書かないのかな? 
なんかすごいの温めてそうなんだけど。