えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

死刑の犯罪抑止効果

先日、深夜の討論番組を見ていたら、死刑制度に賛否について
例によって抑止力のあるなしの話になっていました。


「犯罪抑止力がないから、死刑は廃止すべし」


私はその主張は本質からズレていると思います。
この主張は「そもそも死刑は悪いこと」という前提があって
初めて成立するものです。


仮に死刑に犯罪抑止効果が薄いとして、
国民の8割が存置に賛成している制度なんですから
抑止効果を問題とするならば、
「じゃあどうすればより死刑の抑止効果を高められるのか」
を考えるべきしょう。


「そもそも死刑は悪いこと」という前提は別に前提条件ではありません。
少なくとも存置論者は同意していない。
その前提が正しいかどうかを論じる前に、
死刑廃止派が現状を否定するために
抑止効果を論点に上げたいのであれば


「死刑を廃止した方が犯罪抑止効果が高まるぞ」


という主張でなければならないハズです。
それ以外で廃止論者が抑止効果を論点とするのはすべて無効です。


いかにも「そもそも死刑は悪いこと」が前提であるかのように
議論を進め、その前提の検討を回避するやり方は卑怯だと思うのです。




この問題に関する私の考えは割とシンプルで、
「納得できる社会で暮らしたい」というだけです。
何人も殺した人間が死刑にならず、税金で養われるというのは納得できません。




あとは選択肢の問題です。
死刑制度がある社会で無期/終身刑を選ぶことは可能ですが
死刑制度がない社会で死刑判決を出すことはできません。
どちらがより多い選択肢を持つかは明白です。


今考えなければならないのは
この先、我々の想像を超えるどんな残虐非道な犯罪者が現れても、
そいつを死刑にできない国にしてしまっていいのか、ということです。


どんなに頭が良くても、すべてを想定することはできません。
今の自分の想像・理解の及ぶ範囲だけで結論を出すよりも、
自分の想像力が及ばない事態を想定して物事は決めるべきだと思います。
そんな風に自分の限界を認める謙虚さも大切だと思うのです。


未来の選択肢をわざわざ狭める必要はどこにもないかと。