えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

モーニング娘。の恋愛

辻ちゃんの結婚、ミキティの脱退にまつわるアイドルの恋愛論を振り返って思うところを書いておきたいと思います。


アイドルは「恋愛」という思春期における重大なファクターを犠牲にして仕事に専念し、ファンはそれを応援する−−−言うまでもなくそれは理想的なアイドルとファンの契約関係であり、相互依存関係です。この私であっても、「そうあれかし」と願う気持ちはあります。ですが、だからと言って彼女たちに恋愛を自重しろとは言えません。少なくともかつて思っていたほどに強くは、今は言えません。それはなぜか?


結論から言えば、それはモーニング娘。というものの価値に関わる問題なのです。つまり「果たして今のモーニング娘。がその犠牲に値するか」あるいは「今のモーニング娘。がそれを強制できる環境か」ということです。


私達はメンバーが「命よりも大切」と宣言したユニットを、人事発表一つで奪われる様を目撃しました。ずっとサブの位置に甘んじていたメンバーが奮起し、やっと活躍の機会をつかんだユニットをただ一人追われ、新たな同僚として小学生をあてがわれる様を目撃しました。先輩の気持ちを引き裂いてまであてがわれたユニットで後輩たちが懸命に励もうとするも、1曲しかリリースのないままに、あるいは1曲もリリースのないままに放置される様を見ました。ソロ歌手として順調だったのに急遽、グループに放り込まれる様を見ました。しかもそれらは外的な要因ではなく、(おそらくは)上層部の気まぐれによってなされたのです。


想像してみてください。自分が長年打ち込んできた業務を、社長のきまぐれで何度も取り上げられて、もしくは同僚がそのような目に合っているのを間近で見てきて、成果が世に出るかもわからない、同僚がいつ転属になるかもわからない、またいつ解散するかわからないプロジェクトに配属されて、「ハイ、もう一度 私生活を犠牲にして業務に打ち込んでね」と言われて「ハイ、そうですか」と頑張ることができますか? 私には無理です。どれだけ前向きになろうとしても、絶対に心のどこかでセーブがかかると思います。信じるに足る将来に向けたビジョンなくしては、人は自分の重大なプライベートを犠牲にして打ち込むことはとてもじゃないができないのです。


そういうわけで、彼女たちの受けた理不尽を自分の心の痛みとして経験した多くのファンは、メンバーに私生活の犠牲を強いることは憚られるのです。


そんな中で、石川さんだけが、どのような過酷な状況の中でも、常に全力で仕事に取り組んできました。そうすることで何かが得られるのだと信じて止まないかのように。かつてファン達が信じていた価値がまだそこにはあるのだと信じ続けているかのように。だからこそ私は勝手ながら石川さんにだけはそれを−−−私生活を犠牲にすることを−−−望んでいたいのです。どんな時でもひたむきであり続けた彼女までがその価値を放棄したなら、それはおそらく名実共にその価値がこの世から失われたことを証明してしまうからです。



新垣さんも同様です。どんな時でもモーニング娘。への愛を失わなかった彼女が、グループに対し、私生活を犠牲にするほどの価値を見出せなくなった時、かつて私をあれほど夢中にさせた最期の幻想がこの世から消えうせてしまうのです。



ただ、それでも私は、その時が来ても、彼女たちを声高に批難するのでも、裏切られた!と恨むのでもなく、せめて「今までありがとう」と言えるファンでありたいと思います。