えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

教育問題

朝まで生テレビ』を見ていて難しいなぁと思ったのは、先生方はどうしてもダメな生徒を「見捨てる」とは言えないことなんですよね。授業態度が悪くて教室を荒らす生徒にも等しく教育を受ける権利はあって、大人がそれを阻害することはできない。これがもうどうしようも動かせない大前提になってる。
だけど実際に現場で迷惑を受ける周囲の真面目な生徒にしてみれば、
「そいつらを学校から排除してくれよ」
というのこそが切実な願いなわけで。


私は問題児一人の人権よりも、規律をちゃんと守ってるその他大勢の生徒の「授業を受ける権利」こそ優先されるべきだと思う。問題児はもうどっか専門の矯正施設に入れて性根を叩き直すしかないでしょう実際。学校の先生方に問題児を矯正することと、普通の生徒への授業をすることと、その両方をお願いするのは無理だと思うんです。それをお願いするなら倍の給料でも払わないとどう考えても割に合わない。割が合わない勤務を、先生一人一人の個人的モチベーションだけに頼って行うのは無理があります。


給料以上の労働を求められると、「オレは頼りにされてるんだ」と一時的には意欲を高められますが、それが報酬という形で評価されない日々が続ければ、人はモチベーションを少しずつ削られてゆきます。これは社会人として働いて、一度離職した私の実感です。そりゃ立ち直った生徒の笑顔だけで無限のエネルギーが補充できればこんんなに美しい話はないんだけど、先生だってお仕事でやってるんだしさ。特撮ヒーローじゃないんだからさ。今、学校の先生にアレコレ追加勤務を求めて、ただでさえ現場が荒れてるのに、さらに先生方の従来の職務へのモチベーションまで下げさせてしまうのはうまくないでしょう。


組織的な対応システムが構築できないのであれば、もうそれこそが学校教育の限界点で、その生徒を放り出すしかないと現実的に見切りをつけることも必要なんじゃないでしょうか。今はそうやって学校が「ギブアップ」できず、問題児を矯正もできないまま内部に抱え込んでいることの皺寄せが、真面目な生徒にいっているように思えるんです。私は学校は生徒を見捨ててもいいと思う。



矯正施設のありようだとか、そこへ生徒を送る措置だとか、そりゃ運用のされ方によってはすごい危険性はあるんだけど、普通の学校に限界を超えた対策を求めるのはもう無理だろうと、思ったわけです。