えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。


「職業に貴賎なし」という言葉がありますが、私はこれは妄言だと思っています。だって、どう考えたって職業に貴賎はあります。私が社会でまっとうに働く「日本のお父さん」たちに素直に敬意を感じるのは、自分が「オタク雑誌の編集者」という人の私的な欲望に従属する卑しい仕事に就いていると自覚するからに他なりません。その意識を同業である他人に当てはめようとは決して思いませんが、自分と社会との関係において、私の意識のあり様はそうです。


再度言います。職業に貴賎はある。そこで従事してる「人間」の貴賎じゃなくて、あくまで「職種」としての貴賎。 先ほども述べましたが、私は他人の“私”の欲望に従属する仕事は卑しいと考えています。では逆に尊い職業とは? 最近は不祥事続きと言われますが、警官や教師はやはり聖職でありましょう。なんとなれば、彼らには必ず「私」を滅して公の道徳や正義に仕えねばならない瞬間があるからです。滅私の心構えなくして、どうして自らの危険を顧みず犯罪者の前に立ち塞がることができましょうか。どうして教え子に対する自分の恋愛感情や劣情を抑制することができましょうか。そう考えると最近の報道に見られる警官や教職の失態は、聖職の聖職たる所以を見失ったが故に起きているのだと気づきます。そう、“公”に仕える仕事は尊いのです。 (※1)。とすれば、国政に身を捧げる政治家という仕事は、本来は最も尊い職業だと言えましょう。



さてこの記事です。
http://www.zakzak.co.jp/top/2006_04/t2006041401.html
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1850027/topics_detail
衆院千葉7区補選(23日投開票)で、民主党太田和美候補がキャバクラに勤めていたという怪文書が出回り、その事実を彼女の事務所が限定的に認めたという内容です。しかもそれを「あっさりカミングアウト」して「人間臭さで勝負」なのだそうです。


嬢王』だの『夜王』だのと最近やたらと水商売を題材としたドラマが多いことに先日苦言を呈したばかりだったので、私にとってはタイムリーな報道でした。皆さんは水商売も立派な職業の一つとお思いでしょうか? 私はやはり前述のように水商売は見下されているべき仕事だと思っています。私的な欲望に従属する仕事だからです。そして私は賎の賎たる理由を認識しない者はまた、聖職の聖職たる所以を理解し、実践することもできないと断言できます。太田候補は政治参加しても「公に仕える」という意識を持つことは難しいでしょう。彼女に票を投じても典型的な「民主党タレント議員」を増やすだけです。


もちろん世の中は貴く良いものだけでできているわけではありません。善しか知らない人間はかえって危く、また賎であり悪の立場からしか見えないものもあるでしょう。しかしです、例えばヤクザの親分にまで登りつめた人が「これまでの悪行を恥じ、これからは国にこの身を捧げたい」と言えば、確かに彼にしか持ち得ない視点を政治に持ち込んでくれるのかもしれないと期待を持つことはできます。しかし、ヤクザと言っても立候補するのが下っ端のチンピラや「スケコマシ」であったなら、その人物に政治家として何かを期待することができましょうか?


この例で言えば、まだ、キャバクラで働いてお金を溜めて それで家を買ったとまで言うのなら、 そこまで突きつめた一流のプロだと言うのなら、 必ずその経験の中から学んだことがあるはずですし、 それを政治に活かすこともまだしも可能かと思うのです。だけど小遣い稼ぎにバイト気分でキャバ嬢をして、それを隠して政治家になろうとしている人物にそれを期待することは私にはできません。




また、これらの根本的な倫理の問題に加えて私が気になるのは彼女の陣営の
「友達に誘われてキャバクラ嬢をしていた」
という言い分です。この発言に言外に友達のせいにして 「自分は悪くない」あるいは「自分だけの責任じゃない」と訴えるニュアンスを感じるのは私だけでしょうか? こういうことを言ってしまう陣営に属する人が今後「誰かのせい」にして汚職に手を染めても、私は全然不思議に思いませんね。少なくともこんな迂闊なコメントを公式にしてしまうような見識では、与党を退けて政策を通す政治力は期待できないと思います。




友達を言い訳に使うような人は、
今後も絶対に誰かのせいにし続けます。




自分で自分の行動の責任を背負えない政治家は日本にはいりません。





(※1)そういう意味ではどんな職種でもキチンと税金を納めている限りは尊い側面を持つのだと言えましょう。逆に公共に対する意識が低ければ、人は容易に「バレなければ脱税してもいい」という意識に堕ちる。