えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

佐藤賢一

西洋史小説家・佐藤賢一が描く主人公の行動原理はほとんどの場合が単純だ。『剣闘士スパルタクス』であれば鍛え上げた己の肉体への矜持。『二人のガスコン』であればガスコン気質。それが全てである。そんな至ってシンプルな行動原理に沿って主人公たちの行動はほとんど自動的に決定され、グジグジと逡巡することはない。仮に逡巡することはあってもそれにいたずらにページ数を費やすことはしない。よって読み進めている間はとても爽快である。それだけならただの娯楽小説で終わってしまうところだが、主人公たちの一つ一つの選択はとても単純なものであるのに、その積み重ねとして描き出される人生は実に複雑玄妙。その点がなにより素晴らしい。


逆に言えば人生の複雑な遍歴を描きつつ、そこに一貫する行動原理を描けているということは、それはそこに描かれているのが人の本質だということでもある。となれば「史実」という制約があればあるほど面白い。史実上の複雑な顛末をシンプルな人の本質でもって貫いてみせることにカタルシスが生じるからでである。


あれこれ悩むことに意味があるかのように見えて、現実的に人がとり得る選択など実に少なく、その選択決定の材料はこれまた少ない。結局人間なんて自分が思っているよりもずっと単純な存在なのである。その単純な人間が単純なる己を貫いた結果 時として偉業を残すからこそ、歴史は面白い。佐藤賢一の小説にはそんな視点が感じられる。


私は特撮などの子供向け番組というのもこういうあり方が理想だと思っている。『仮面ライダー剣』のように主人公があれこれと悩んでも誰も喜ばない。その場その場でのヒーローの意思決定は常に単純・明快であればいい。そして単純な選択の積み重ねでも重厚なドラマを構築することは可能なのだ。もちろんそれは主人公をあれこれと悩ませるよりも高いスキルを要求されることではあるけれど。