えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

期待をされると燃えるんです!

ヲチスレス


私の印象に残っているシーンは第1話でサイド7に侵入したジーンがデニムの制止も聞かずに基地に攻撃を仕掛けるところですね。では、VTRどうぞ

SE:チャラリーン
ガンダム大地に立つ!」


ジーン「叩くなら今しかありません」

デニム「我々は偵察が任務だ」

ジーン「しかし!敵のモビルスーツが戦艦に乗ったら!」

デニム「手柄のないのを焦ることはない…お、おい、ジーン何をする!」

ジーン「シャア少佐だって戦場の戦いで勝って出世したんだ」


これね、今でこそアニメで戦争を描く作品があるのはもう当たり前ですから、なんとも思わないじゃないですか。だけど当時はロボットアニメなんてものは勧善懲悪が基本で、大体は正義の味方が主人公で、異星からの侵略者や、人間だとしても悪の帝国なんかと戦うのが常だったわけです。異星人ってのははなから理解の外にある存在だし、悪の帝国なんてものも、「世界征服」とかいうおよそ視聴者の日常とはかけ離れた原理で行動しているわけですよ。そこに共感の材料はない。だけど、この1話でのジーンのセリフを見てください。彼の行動原理は「出世」なんですよ。わかりますか? これって普通の人と同じでしょ。だからこのセリフを聞いた時点で、戦う相手が同じ人間で、しかも悪の狂信者なんかではなく、共感し得る普通の感覚を持った人間だということが描かれているわけです。この一言で、この作品はこれまでの子供向けのアニメとは一味違った人間対人間の戦争を描くんだぞ、という作り手の意気込みみたいなものが伝わってくる。


さらに素晴らしいのは、このセリフが作劇上の必然性をもっていて、しかもこのジーンという新兵の性格設定とまったく合致する形で発せられているという点なんですよ。上記のようなことを放映当時はまったく意識しなかったわけなんですけど、なんで意識しなかったかと言えばそれだけ自然にストーリーの中に組み込まれているからなんですね。だけど意識してないけど、「人と人との戦争」という物語を貫く基本設定は物語を見ている中に自然に刷り込まれ定着しているわけ。これはもう、第一話の演出としては神がかり的に素晴らしいものですよ。


例えば同じ富野監督の『Zガンダム』の第一話では、ジェリドを殴って捕まったカミーユに対してティターンズの取調官であるMPが


エゥーゴの分子でない者がなんでティターンズのメンバーに喧嘩をふっかけるんだ。え、おかしいじゃないか。エゥーゴというのが宇宙に住む人間の独立自治権を求める運動というがそりゃ嘘っぱちなんだ! ジオンの真似をして地球に住む人々を非難しているくだらない連中だ!」


というセリフを吐いています。これでストーリーを楽しむために必要な世情に関する情報を得られるわけですけど、いかにも説明的ですよね。本当にこういう世情ならこんなことその世界の住民にいちいち言うわけないでしょ。この世界の住人であるというこの取調官の基本設定や人生背景とも一致していません。つまり作劇上の都合だけで語っている。だから話からこのセリフだけが「説明的」として浮いちゃうんです。


同じ監督でさえこれだけの差がある。そういう意味でもやはりガンダムの第一話のあのジーンのセリフは、何か人間以上のものが作用して生まれたとしか考えられないほど、素晴らしいセリフであり、その後の25年にも及ぶガンダム文化の歴史の幕開けを飾るに相応しいものだったと、そう、私は思うんです。