えだは

モー神通信のTKです。ほんばんは。

■キャプテン・マーベル

キャプテン・マーベル

 

 

<重要ネタバレあり>

 

 

 

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他人にDNAレベルで変身することができる擬態(シェイプシフター)能力を持つスクラル人。原作では悪役宇宙人として登場するこのスクラル人が今回の映画では悪役ではなかったのが一番のサプライズでしたね。

 

そのスクラル人のタロスが、自分たちの擬態能力について「それはスクラル人なら誰でもできるの?」と聞かれた時に

「訓練や技術次第だし、こう言っちゃなんだが才能も必要だ」

とちょっと自慢気に話すシーンが、可愛げと趣きがあって実に良かったですね。

 

誰かに成り代わる擬態は、『盗まれた街』の昔からSFホラーで繰り返し題材とされているように、人間にとっては根源的な不気味さや恐怖を感じるもの。今回の映画におけるタロスたち一派のスクラル人は悪役ではなく故郷を追われた難民であるわけですが、こうした不気味さや忌避感ってまさに私たちが異文化・異民族に触れた時に本能的に感じてしまうものにも通じると思うんです。見た目が違うとか、言語の発音が荒々しいとか、食べ物が違って妙な臭いがするとか、理解し難い習慣を持ってるとか、そういった違いにギョッとする気持ち。

 

ところが今回のこのシーンでは、その不気味に思える要素が彼らにとっては技能や誇りであり、チャーミングな要素ですらあると描写されています。そこには文化の違いがあるだけなのだと。私は拙速な移民政策には賛成できない立場ですが、それでも、このような描写は改めて異文化やそれに対する自分の感情への気づきをくれましたし、映画終盤にマリアの子供とタロスの子供が幼女同士でこだわりなく打ち解けている姿を映して、2つの文化の接触のポジティブな可能性を提示する手法は、押しつけがましくなくて実に気が利いているなと感じました。

 

 

 

■追記

ところでマリアの子供のモニカ・ランボーは今回の劇中の90年代に8歳ぐらいだから、『エンドゲーム』では30代? 『エンドゲーム』でキャロルとモニカの再会があるのかもちょっと気になるところです。なにせ彼女も・・・